博士とは“未知への対処法”を取り戻した人材

 他方、ポスドクとして頑張ってきた博士の方、あるいはこれから博士課程に進もうという勇気のある若い方々には、自らの能力が専門分野に限られたものではなく、ビジネスの世界に広く通じる能力なのだということに、自信を持ってほしい。というのも、実は科学の方法は、人間が乳幼児の頃から備える最も基本的な能力だからだ。

 うちの娘は0歳の時、親が黒い塊の出っ張りを押すとテレビなるものに映像が出る様子を「観察」し、「あの黒いのとテレビには何らかの関係があるのではないか」と「推論」し、「出っ張りを押せば映像が出せるのではないか」と「仮説」し、ついにリモコンに触るチャンスを得た時、迷いなくボタンを押すという所業(検証)に出た。その中で「テレビがついたり消えたりするボタンがあるらしい」という「考察」をし、さらに念入りに観察することで、リモコン操作の精度を上げていった。

 科学の方法は、子どもが言葉を習得していったり、技術を習得する際に自然と身に着けている学習方法でもある。子どもは言葉も十分に通じないから、見るもの聞くもの触れるもの、すべて未知だ。未知に対してどう対処するのか、という方法論が科学だが、子どもが自然に科学の方法に則って学習しているというのは、理に適っている。そして、未知に対しどう対処するのか、という課題は、まさに革新的技術を産むことと瓜二つなのだ。

 日本は小学校に入学してから大学を卒業するまで、「正解」の用意されたものを暗記することしかやらない。だから、未知への対処法を忘れてしまっている。しかし修士、そして博士課程を進むにつれて、未就学児が持っていた「未知への対処法」、すなわち科学の方法論を再習得する。それでいて、迷信までも信じかねない子どもとは違い、真実と虚偽を見分ける理性も磨かれている。だから即戦力たりうるのだ。

 民間企業は、博士を即戦力として見直し、採用することを考えてみていただきたい。他方、博士は、自分の専門にあまり拘泥せず、「自分のマスターした科学の方法論はありとあらゆる分野に通じるはずだ」という信念のもと、民間企業においても、柔軟に自分の未来を開拓していただきたい。

「子供の頃の柔軟性」と「大人の理性」を併せ持った博士が、大学の研究室だけでなく、民間でも大いに活躍する時代が来るのを期待している。