うちの息子は幼稚園。「そろそろ『なぜ? なぜ?』攻撃を受けているんじゃない?」とよく聞かれる。幼稚園くらいになるといろんなことに興味を持つようになって、さまざまな不思議を発見し、そのメカニズムを知りたがるようになるためだ。
ところがうちの息子は「なぜなぜ攻撃」がない。理由は簡単、息子が「なんでだろう?」と首を傾げたら「なんでだろうねえ」と、私も嫁さんも答えを言おうとせずに一緒に考え込んでしまうからだ。
「なんでだろう?」から生まれる仮説
コップから垂らした水の糸は、つかもうとしてもつかめない。なんでだろう? お風呂で体を洗っているうち、鏡が湯気で曇ってしまう。なんでだろう? もちろん、理系研究者として訓練を受けてきたから、世間で説明されているであろう理屈を息子に語って聞かせることはできる。
しかし、それは「今のところ、世間ではこう説明されているらしい」という話であって、なぜそうなのかは、本当のところ、分からない。何しろ、飛行機がなぜ空を飛べるのか、アイススケートはなぜ氷の上を滑ることができるのか、本当のところは分かっていないらしい。
例えばアジサイの花の色は、土が酸性かアルカリ性かで決まるのだ、と言われていたが、アジサイの花びらを顕微鏡で確認したら、赤い花びらにも青い花びらにもどちらにも赤い点と青い点が含まれていて、どちらの点が多いかで赤に見えたり青に見えたりするのだということが分かった。
リンゴの切り身が放っておくと茶色に変わるのは、昔は、含まれる鉄分が酸化して茶色くなるのだ、と説明されていた。グリコのキャラメルの豆知識でも、「小学〇年生」でも、そう説明されていた。ところがいつの間にか「ポリフェノールが酸化して茶色くなる」という説明に変わってしまった。かつて分かったように語られていたことが、しばらくすると常識でなくなってしまう。
そんなこんなの経験が私にもあるから、息子に自信を持って「これはね、こういう理屈だからこうなるんだよ」と説明してやることができない。私も一緒に「なんでだろうねえ」と答えるしかない。