中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。
【第1回】「中国語ができないと猫柄のタオルを買わされる」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48280)
【第2回】「少林寺でいきなりスカウトされた中国語武者修行の旅」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48426)
【第3回】「『出口どこ!?』ウイグルの砂漠で死ぬかと思った話」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48609)
これまで、留学生活での旅行やトラブルの中で、中国のいろいろな面に触れてきたことを紹介してきた。そんな濃厚な留学生活も終わりが近づき、その後の進路を考えざるを得なくなっていた。
留学後の選択肢
そうこうしているうちに、僕の留学生活もあっという間に終わりに近づいた。
留学が終了した後の選択は3つあった。(1)日本へ帰って仕事を探す、(2)中国に残って中国で仕事を探す、(3)もう少し中国語を勉強するという3つだ。
日本へ帰って仕事を探すといっても、その頃の日本はますます景気が悪くなっていて、文学部上がりの多少中国語ができる人間など雇ってくれるところは無かったし、もう少し中国語を勉強するにしても留学資金は底をついていたので、結果としては2番目の選択しか残っていなかった。
こうして、僕は上海に残って仕事を探すことになった。しかし、ほとんど社会人経験や日本企業での仕事の経験が無い僕が上海で仕事を探すというのは、いくら中国語を解する日本人が貴重だった当時であっても容易なことではなかったし、内気でかつ自堕落な上、どこか甘えたところもあり、必死になって仕事を探していなかったあの頃は、思えばかなり愚かだった。