砂と空しかない広大な風景は、ときに絶望の舞台となる。(写真はイメージ)

 中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。

【第1回】「中国語ができないと猫柄のタオルを買わされる」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48280
【第2回】「少林寺でいきなりスカウトされた中国語武者修行の旅」(
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48426

 前回は、留学生にとって旅行はトラブルの宝庫であるとともに、中国を理解する手っ取り早い手段だと紹介した。しかし、トラブルの程度によっては、そんな悠長なことを言っていられないこともある。

トルファンの砂漠

 数々の問題に遭遇した中国国内旅行の中でも、あれは本当に一歩間違えれば死んでいたかもしれないということがあった。それは、友人と2人で新疆ウイグル自治区を旅したときだ。

 現在のように中央アジア貿易の陸路の拠点や天然資源の宝庫とも見られていなかった当時の新疆ウイグル自治区は、とてものんびりしていた印象がある。

 甘粛省から新疆ウイグル地区に入るバスは、レースカーかと思うくらいのスポーツ仕様のセッティング、というよりサスペンションがついてないのではないかというようなポンコツだった。一定距離を走るたびに、バスの上に積載している荷物が路上に落下してしまい、それを取りに戻るということを繰り返していた。

 やっとのことで、新疆ウイグル自治区の中心都市ウルムチに到着。新疆ということで、友人と私の2人は、シルクロードなイメージと期待に胸をふくらませて街に入った。だが、ウルムチは漢族の人が非常に多くて、意外に普通の中国の街だったことにがっかりした覚えがある。

 中国の西の端まで来て、普通の街だけ見ても仕方がないということで、友人と私の2人はさらに進んでトルファンに移動した。