中世のドイツ中東部、ザクセンのエルツ山脈で偶然発見された銀山、精製の過程で「ひび割れ」を起こす「いたずら小僧」として分離された「不純物」妖精コーボルトこと「青さび」酸化コバルトは、先進イスラム地域ではステンドグラスの着色料などに使われたが、ドイツでは長らく利用されることがなく産業廃棄物として捨て置かれていた。
これに目をつけたオランダ人が廃物回収でコバルトをアムステルダムに持ち出し、精製して東洋向けの商品にしたところ、中国産天然コバルト「呉須」の市場を席捲、大きな売り上げを出した経緯まで前回お話しした。
一方でコロンブスの発見以降、開発が進んでいた新大陸ではメキシコ銀山が発見され、ドイツの銀価格は急速に下落していく。銀は安くなる一方だったがコバルトは値崩れしない。
ザクセンとしてはこれをただ指をくわえて見ている手はないだろう。そこで新たな経済政策の手が打たれることになった。
「金貸しユダヤ人」と「キリスト教徒」
話が飛ぶようだが、中世の長い期間、ヨーロッパが「暗黒時代」と言われ、経済成長などが阻害された大きな理由として「キリスト教」とりわけその「禁忌」タブーを挙げることができる。
このように書くと、何か魔女裁判などを想像されるかもしれない。しかし話はもっと直接的に経済にまつわるポイントだ。「利息」融資して利子を取るという行為が問題になるのである。
日本ではあまりこのポイントに正しく光が当たらないが、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教を分け隔てる大きな違いとして「金融」と「利息」の問題がある。
やや簡略化して書いてしまうなら、旧約聖書は金貸し業が利息を取る事を禁止しない。しかし新約聖書はこれを禁止してしまう。新約聖書をも聖典とみなすイスラム教でもまた、利息を取ることは原則、禁じられている。
これは要するに、金貸しはユダヤ人の特権で、キリスト教徒もイスラム教徒も銀行は営めないということを意味する。