甘酒。一夜酒などの異名も。

「『甘酒』は夏の季語」という話をよく耳にする。歳時記を見てみると、たしかに「暑い時に熱い甘酒を吹き吹き飲むのは、かえって暑さを忘れさせるので、夏に愛用される」(『平凡社俳句歳時記 夏』より)などとある。

 だが、歳時記や事典の類には「その昔は冬の飲みものだった」との記述もよく見かける。だとすれば、甘酒の旬は「冬から夏へ、そして冬へ」と移ったことになる。寒い冬に熱い甘酒で温まるのは感覚的に分かるが、いったい「甘酒と夏」の組みあわせは、どう誕生し、どう定着し、どう衰退していったのだろう。

 こうした疑問をもちつつ、今回は「甘酒」をテーマに、歴史と科学を追ってみたい。前篇では、「甘酒は夏の飲みもの」成立の経緯などを中心に、日本人と甘酒の関わりを追ってみたい。後篇では、夏に甘酒を飲むという人々の知恵を裏付けるような現代の科学研究成果を見ていきたい。

神に献じた甘酒、祭の伝統は今も

 粥と米こうじを等量で混ぜたものを、沸騰しないように一昼夜、温め続ける。これで甘酒のできあがり。甘酒が甘いのは、米こうじの仕業による。飯などのでんぷんを分解して糖に変えているのだ。

 かつて、甘酒は「醴」(こさけ)とも書かれた。古くは720(養老4)年成立の『日本書紀』に、醴を応神天皇に献じた旨が記されている。応神天皇は、弥生時代から古墳時代へと移る3世紀ごろに即位していた天皇だ。

 その後も、甘酒は神に献じる飲みものであり続けた。人々がいただくときも、日常においてでなく、「ハレの日」においてだった。甘酒というと催事に振る舞われる印象が強いが、各地ではいまも「甘酒祭」の伝統が続いている。

 埼玉県秩父市(旧・荒川村)の熊野神社では、ふんどし姿の氏子たちが大樽に入った甘酒をかけあう「甘酒こぼし」を行う(2016年は7月24日に公開予定)。伝説では、大和武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、大きな猪を矢で射った。だが尊が射ったのは本当は山賊で、村民たちは喜んで尊に濁酒を捧げた。尊は、伊宑諾命(いざなぎのみこと)と伊穽冊命(いざなみのみこと)という夫婦の神を祀り、ここに熊野神社が創設されたという。その後、735(天平8)年に疫病が流行すると、この故事にちなんで、人びとは「甘酒こぼし」を疫病を流すための祭事にしたという(『食の科学』2004年12月号より)。

 ほかにも、甘酒を供えて酒造りの安全繁栄などを祈願する梅宮大社(京都府京都市)、甘酒を飲みあって豊穣を感謝する八幡神社(愛知県一宮市)、酒造の神に感謝する淡嶋神社(和歌山県和歌山市)など、今も甘酒祭は多く催されている。