世界最大の半導体メーカーであるインテルの最高経営責任者(CEO)だったアンドリュー・グローブ氏が2016年3月16日に亡くなった。1990年代の米国の産業競争力の復活を象徴する経営者であり、激動の歴史に翻弄された人生でもあった。
「あなたの今日の顔色は極めて良くない。インテルのここ数年の成長が速すぎて、業務量が急激に増えて無理をしているからではないのか?」
1994年の株主総会
1994年5月4日。米ニューメキシコ州アルバカーキで開催されたインテルの定期株主総会。筆者は、こんな質問を社長兼CEO(最高経営責任者)アンドリュー・グローブ氏にした。
なんで、こんな失礼な質問をしたのか?
グローブ社長とは何度も会っていたが、この日は、本当に顔色が土色だったのだ。それにちょっと、会見場の雰囲気を変えたいといういたずら心もあった。
1990年代前半、インテルは猛烈な勢いで成長した。その勢いは毎年株主総会に行っただけで簡単に感じることができた。
1992年の株主総会は、アリゾナ州フェニックスだった。取材に来た記者は、地元紙を含めて5人もいなかった。がらんとした大会議室で、ゴードン・ムーア会長にインタビューをすることができた。
1993年、カリフォルニア州シリコンバレーで開かれた株主総会には少なくとも20人ほどの記者が来た。このときも、会長だったムーア氏や社長だったグローブ氏と身近で話しをすることができ、シリコンバレー風の開かれた株主総会を実感できた。
そして1994年。すでに日本企業を抜いて「世界最大の半導体メーカー」になっていたインテルは米国の産業界の話題の中心企業だった。
株主総会には、記者やアナリストが軽く100人以上詰め掛けた。