宮城の牡蠣を追ってたどり着いた地は東京湾

牡蠣のイノベーションと大震災(前篇)

2016.01.15(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 牡蠣が旬だ。もうお食べになっただろうか。

 甘みや旨みと磯の味が一体となった風味、それに、ぷりっとした歯ざわり。貝類の中では孤高の食材だ。生食に、鍋に、フライにと、さまざまに料理できるのは、それだけ牡蠣の風味や食感がしっかりしているからだろう。

 とかく輸入だよりの日本人の食の中で、牡蠣の自給率はいまも8割ほどと高い。店頭でさまざまな地域からの国産牡蠣を見ると、どこかほっとするところがある。

 だが、そんな日本の牡蠣の一大産地に大きな危機が訪れた。2011年3月、大津波により、宮城県など東北の牡蠣生産地が壊滅的な被害を受けたのだ。実に宮城県内では牡蠣養殖施設の98%が被災したとされ、そのまま廃業した牡蠣業者も多い。今シーズンの生産計画でも、震災前の生産量の半分に達していない。

 復興の道はまだ半ばで、いささか楽観的かもしれないが、「災いを転じて福となす」という言葉もある。災難にあってもうまくそれを活用して幸せを得るという意味だ。この言葉から、なにかしらの希望を得ることはできないだろうか・・・。

 今回は、牡蠣の歴史と科学を追うことにした。前篇では、日本そして宮城県での牡蠣の養殖の歩みをたどっていくことにする。そして、後篇では宮城県の牡蠣業の復興に向け、高品質・高価値の牡蠣づくりを目指して進められている研究を伝えたい。

養殖の始まりは広島の篊建(ひびだて)式から

 日本各地の貝塚から、牡蠣の殻がたくさん出土している。縄文時代の日本人は、貝類の中でも蛤(はまぐり)についで牡蠣を多く食べていたといわれる。浅瀬で獲れて、殻も身も大きく、そして美味しい。古の人もそんな牡蠣を放っておくはずがなかったのだ。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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