豚汁がまだ「おふくろの味」ではなかった時代

ルーツは鹿児島の郷土料理?

2014.03.14(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

そして家庭料理の定番へ

 以前、「生姜焼き」の回でもふれたが、明治時代の肉食解禁以降、豚肉は、牛肉ほどすぐには人々の間で広まらなかった。

 政府が富国強兵政策として養豚事業を開始したのは、1900(明治33)年。さらに1904(明治37)年から始まった日露戦争が、豚肉の普及に一役買った。兵士の食糧として牛肉が重用され、市井に出回る牛肉が不足したため、その代用として豚肉が注目されるようになったのだ。

 そうした動きに伴い、「とんかつ」の回で詳しく述べたように、洋食屋ではポークカツレツなどの豚肉料理がごちそうとして人気を集めていく。その陰で、豚汁はじわじわと人々の間で広まっていった。

 その普及に一役買ったのは、軍隊である。先の『軍隊料理書』は、その名の通り軍隊の料理法をまとめたものだ。軍隊と豚汁との関係を想起させる記述はほかにもいくつかある。

 例えば、翌1921(大正10)年11月21日付の『東京朝日新聞』には、<木戸候の心遣い 夜具も別誂へとし/豚汁にお酒と/風呂も沸して>と題した記事がある。それによると、疲れた兵隊を迎える際に、東京の赤坂にある故・木戸孝允の邸宅では熱い豚汁を振る舞ったという。おそらく、兵士たちもひと口飲んで、「ふう」と安堵の吐息をもらしたことだろう。

 肉の量が少なくて、経済的。しかも手軽に作れて、栄養価が高い。また、豚から脂が出るため、豚汁は野外などでも冷めにくいという利点もある。そうした様々な面から、軍隊の食事にうってつけだったのだ。

 同じ理由から、家庭の定番料理となるのも時間はかからなかった。先に紹介した『家庭料理講義録』から察せられるように、ボリュームのある味噌汁の一品として大正時代には早くも定着し始めていた。

 そして、現代。とんかつ屋に行くと、かつを仕込む際に出る肉の切れ端が入った豚汁が一緒に出てくる。1つの膳におさまっている、洋食と和食という正反対の道をたどってきた2つの料理。それらの来し方に思いを馳せるとき、浮び上がってくるのは、あらゆる手を使って我が味にしようとする果てしない熱意にほかならない。

(編集部から)
「食の源流探訪」は今回で終わります。4月からは、同じく澁川祐子さんによる食に関する新連載が始まります。乞うご期待!

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。