私は2011年の東日本大震災の半年後から英国インペリアルカレッジ・ロンドンの公衆衛生大学院へ留学していましたが、この度留学を終え、本年11月に相馬中央病院内科の常勤医として勤務を始めました。相馬中央病院は現・相馬市長の立谷秀清氏が設立した病院で、規模こそ小さいものの地域に密着した診療を行っています。
相馬市への移住の決意
「原発の近くに支援に入るなんて勇気があるね」と言われることがよくありますが、これには2点、修正したい点があります。
1点目は、私は「支援」に入っているつもりはない、ということです。私が相馬市に移住した理由には様々ありますが、何よりも相馬市の地域復興の在り方が公衆衛生学的な視点から見て興味深かった、という点が挙げられます。
また、現在相馬市という小さな町に研究者、教師、アスリートなど、あらゆる分野で一流の人々が集まっており、そのような人々との交流のチャンスも与えられています。そういう意味で、相馬への移住は私自身が学ぶチャンスであり、第2の留学だと思っています。
2点目は、相馬市に住むのに勇気はいらない、ということです。もし相馬市で放射線量が測定されていない町であったら、もちろん私も移住はためらったと思います。しかし実際には南相馬市立病院の坪倉正治医師を中心とした被曝調査チームにより住民の放射線の内部・外部被曝量に関してはデータが蓄積しており、住むには安全だと考えるには十分でした。
余談になりますが、ロンドンで知り合った放射線医師には、「あの被曝量じゃ研究にならないからあまり興味ない」とすら言われてしまいました。
また被曝量が少なすぎるせいで、政府とグルになって被曝量を低く見せている、という「風評被害」まで出ているそうです。私自身は坪倉先生チームと知り合いであることもあり、このデータの信頼性は自分が移住を決めることができる程度に高いと思っています。
坪倉医師の拠点は南相馬市ですが、先生は相馬市にも毎週訪れます。行政区などということにこだわらず、相双地区が一丸となって調査チームを受け入れていることがこの地域の特色である気がします。
相馬市は震災前の人口が約3万7000人、そのうち479人(1.3%)の命が津波により失われ、4000人以上が避難生活を余儀なくされました1。
しかしこの状況でも、相馬市長の一声の下に市外からの大勢の避難者を受け入れたそうです。これは地方自治体の行政にとっては大きな負担だったと思いますが、その結果、相馬市は自身が被災地でありながら他地域を支援する、という独特のカラーを打ち出し、支援活動家たちの拠点となりました。