(インタビュー記事は2ページ目から)

 思いつきとパフォーマンスを得意技とするのが菅直人首相だとしたら、短時間で練りに練った案を作り上げ、それに従って組織を大胆に動かしているのが相馬市の立谷秀清市長である。

 古い時代に例えるなら、今の日本の首相はお公家様で、相馬市長は戦国武将と言えるかもしれない。少しでも油断すればお家の危機を招きかねず常にリーダーとしての研鑽を積んでいる戦国武将。

市長の迅速・的確な指示で助かった多くの命

 立谷市長には、完全に体に染み付いているリーダーシップを感じた。実際、相馬市では1512世帯が津波の被害を受けたが、被害を受けた地区の約5200人の住民のうち、9割の人々が一命を取りとめている。

 今回の大震災では大きな津波の被害を受けた東北地方の市町村の中で、人命を救えたという意味では圧倒的な割合である。立谷市長の迅速で的確な指示が功を奏した格好だ。

 その後は本文にあるように、震災発生の翌日、3月12日午前3時までに考えられることはほとんどすべて盛り込んだ復旧プランを作り上げ、市役所の人たちや消防団員、住民がやるべきことを決め、市が一丸となって復旧に乗り出した。

 インタビューのために市役所を訪れて強く印象に残ったのは、市役所で働く人たちと市長とのコミュニケーションの良さだった。細かいことまで指示しなくても、市役所の方々は阿吽の呼吸で自ら判断しててきぱきと動いていく。

 「リーダーとは大きな方向性を打ち出す人のこと」と立谷市長は言う。そして、市役所の職員たちとのコミュニケーションには非常によく気を使う。

鎌倉時代から続いた相馬藩の家臣だった

 実は、立谷市長の先祖は相馬藩の家臣だったという。その相馬藩と言えば、薩摩の島津家、盛岡の南部家と並び、鎌倉以来約700年以上続いた名家である。

 「創業は易し継業は難し」とは唐の太宗の言葉だとされる。文字通り、事業や家、国家を長く続けるのは創業するより難しいという意味だ。

 長い年月の間には様々な困難が何度も押し寄せる中で、これほどの長い年月、家を続けるためには、リーダーとしてのあり方、立ち居振る舞いが有形無形に家訓のような形で伝承されてきたはずだ。それは明治維新から140年以上が経った今でも、何らかの形で残っているのかもしれない。

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