“あん”と出合って完成した日本料理「天津飯」

発想の起源は中華丼にあり?

2013.09.13(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 辻学園調理・製菓専門学校の中国料理研究室主任教授である横田文良は、著書『中国の食文化研究 天津編』(辻学園調理・製菓専門学校発行、2009年)の中で、天津飯のルーツには東京、大阪の2説があると述べている。

 それによると東京説は次の通り。1910(明治43)年に浅草で開店した、醤油ラーメンの草分けとして知られる「来々軒」の3代目が戦後、東京駅近くの八重洲で店を再開した際に、銀座の中国料理店「萬寿苑」からコックをまわしてもらった。そのコックがあるとき、「早く食べられるものを」という客の要望に応えて、卵にカニの身を入れたカニ玉(芙蓉蟹肉・フーロンシュロウ)をご飯の上に載せ、酢豚のあんを応用した甘酸っぱい醤油味のあんをかけて「天津丼」として出したというものだ。

天津飯。ご飯、かに玉、あんが口のなかで三位一体となる

 一方、大阪説は、戦後間もない頃、大阪城近くの馬場町に陸軍の「大阪八連隊」本営があり、その前にあった「大正軒」という中華料理店が発案したというもの。関東大震災後に開業したその店の主人が、戦後、食糧難の頃に天津の民間の食習慣であった「蓋飯」をヒントに、同じく天津で多く獲れていたワタリガニを使うことを思いつき、これを卵でとじてカニ玉にし、上からあんをかけて「天津飯」として売り出した。

 さらにこの大阪説には後日談がある。ワタリガニは当時の大阪湾ではよく獲れていたが、それでも少々値が張る。そこで、土佐堀川河口の川津エビを使ったエビ玉の天津飯を考案したという。

 現在、カニ玉のあんの味には、甘酢あんかけと醤油あんかけの2種類がある。主に関東は甘酢あんかけ、関西は醤油あんかけという棲み分けができている。横田は、大阪の天津飯は、川津エビの甘みを生かすためにあっさりした醤油風味や塩風味のあんがかけられて出来上がったとしており、現在のあんの味の棲み分けとも合致している。

 また、呼び方も関東では「天津丼」、東海以西では「天津飯」と呼ばれることが多いが(塩田雄大「ことばの地域差とその背景」農山漁村文化協会『Vesta』2007年冬号)、それもこの2説の裏づけとなっている。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。