今回のテーマは始めのうち、「飲むヨーグルト」にしようと思っていた。

 世界各地にヨーグルトドリンクが存在しているが、伝統的にヨーグルトを飲料として利用してきた地域にあるものは、だいたいが塩味である。トルコを中心にバルカン半島や中東、中央アジア一帯で飲まれている「アイラン」はヨーグルトに水と塩を混ぜたもの。インドの定番ドリンク「ラッシー」は、日本で飲むと甘味をつけたものが大半だが、基本はヨーグルトとミルクを混ぜたものだ。

 最近でこそ日本でもプレーンタイプや、「アイラン」と謳った塩味タイプのものも売られているが、甘味のついたタイプが主流だった。「飲むヨーグルト」は本来、甘いジュースとしての性格が強かったのである。

 そもそも日本でヨーグルトの市販品が出回るようになったのは、牛乳やバターの普及より遅く、大正時代のこと。広く一般に親しまれるようになったのはさらに戦後になってからだ。ヨーグルトという馴染みのない乳製品を受け容れるにあたって「甘味」というのは重要なカギを握っていたのではないか。それを「飲むヨーグルト」を調べることで明らかにできないか。そんなふうに考えて、「飲むヨーグルト」を調べ始めたのだ。

 だが、調べていくうちに、ヨーグルトが普及するにあたってその前段階があることを知った。それが「乳酸菌飲料」の発明である。

「凝乳」という名で始まったヨーグルト

 本題に入る前に、日本におけるヨーグルトの歴史を少したどっておこう。

 ヨーグルトの歴史は、5000~6000年前までさかのぼると言われている(7000~8000年前とする説もある)。家畜の乳を搾る際に、乳房のまわりに付着している乳酸菌が入り込んだ。その乳の飲み残しが自然に発酵し、酸味のあるとろりとした発酵乳が出来上がったのが始まりとされる。「ヨーグルト」の語源は、トルコ語で「撹拌する」という動詞に由来している。これは、乳酸発酵を促進させるために、かき混ぜるところからきている。

 日本に乳製品が伝わったのは意外に古く、6世紀中頃の飛鳥時代のこと。平安時代初期に編纂された『新撰姓氏録』には、孝徳天皇(在位645~654年)に朝鮮半島からの渡来人が牛乳を献上したところ、たいへん喜ばれて「和薬使主(やまとのくすりのおみ)」という姓を賜ったと記されている。

 この頃から、乳を加熱して作るヨーグルト状の「酪」やバター状の「酥」、乳を煮詰めたチーズ状の「蘇」、さらに「酥」を精製してできる最上級品の「醍醐」などが作られるようになった。ちなみにこの「醍醐」は、素晴らしい味を意味する「醍醐味」の語源にもなっている。

 しかしその後、日本では貴族社会の没落や、肉食を禁忌する仏教の影響などにより、乳製品の文化が途絶えてしまう。18世紀になり、江戸幕府は御料牧場で白牛を飼い、牛乳に砂糖を加えてとろ火で煮詰めた固形状の「白牛酪」を作るようになったが、それはごく限られた将軍家の者のみが口にできるものだった。