報道によれば国連の拷問禁止委員会は先週の5月31日、旧日本軍の従軍慰安婦に関連する問題で「日本の政治家や地方の高官が事実を否定し、被害者を傷つけている」とする日本政府向けの勧告をまとめた様子です。
この連載でもここ2回連続して、関連の問題を扱っていますが、少なくとも私の趣旨は、誰か特定の政治屋さんを念頭に置くものではありません。同様のことをする人間がいれば、どれも等しく問題であることを、客観的に示しつつ、日本の外交のあるべき姿を原点に立ち返って考えたいと思っているものです。
国連拷問禁止委員会は日本政府に対して「日本の政治家や地方の高官」が「事実を否定し、被害者を傷つける」発言をしている場合「こうした発言に明確に反論するよう」求めています。こうした襟の正し方の、外交における品位ということを考えてみましょう。
團藤教授と国連拷問禁止委員会
音楽屋の私が、ふとしたきっかけから国連拷問禁止委員会の存在を知るようになったのは、昨年亡くなられた刑法の團藤重光先生のご縁からでした。現在は一定の頻度で国連やEU本部などの招きを受け、人権問題や重罪刑務所の視察、死刑を巡る国際対話などに招聘があり、セッショントークの議論に参加したり、追悼などの折にはピアノを弾いたりしています。
国連の拷問禁止委員会は、国連拷問禁止条約より正確に申すなら「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」の中に位置づけられ、同条約の加盟国が条約の各条を正しく守っているかどうかを調べる国際人権機関です。私が最初にタッチしたのは2007年、「代用監獄」を巡る問題で、でした。
芸術音楽の人間で、大学・大学院では物理を学んだ私には、以前は刑法も監獄もおよそ縁遠いものだったのですが、それが1995年に起きたオウム真理教事件、とりわけ地下鉄サリン事件の実行犯として、物理時代の同級生、豊田亨君が被告人となって長い裁判が続き、私もこの法廷と少し関わりがありました。
現在は最終審が終わって、豊田君は最高刑が確定していますが、刑事司法や死刑を巡る問題が、突然身近なものになっています。法務省の特別交通許可者という立場で、日常的に最高刑が確定している友人と行き来をする毎日を送ることになるとは、以前は想像もしていませんでした。
加賀乙彦、多田富雄といった人々の勧めもあり、豊田君とは新作能をともに作り、様々な問題を一緒に考えてもらっています。
ちなみに、これらの経緯に私の大学での職位は一切関係がありません。どうしてクラシック音楽の作曲やオペラ・オーケストラ音楽の指揮の教官であることが、刑事司法のあれこれと直結するでしょう?
まあ、あえてあるとすれば、親族でない特別交通許可者は身元がはっきりしている方がよいので、国立大学法人教員は比較的安心してOKが出たかもしれないのと、私は芸術家として筋を通し、安手の付和雷同には与しませんので、そのあたりを国連やEUなどは好いてくれているかもしれません。
それにしたって、原稿なしの素で、ジョークを交えながらしゃべる日本人がああいう場に比較的珍しいという以上のものではないという程度の認識です。つらつら眺めるに、自ら権威が好きな人が、人を権威主義呼ばわりすることが多い気がします。
私、一切関係ありませんので、コメントなど頂くのはうれしいのですが、できればまず、よく文章を読むところから始めて頂きたいと思います。中身が読めていないコメントが残ると、やや恥ずかしいことになっているのに気がつかないのかな・・・などと、老婆心ながら心配になってしまいます。