私たち音楽家は演奏の仕事を引き受けると楽譜が送られてきます。譜面が手に入ってから練習の初日までの時間は概して短く、「もう少し早く送ってくれないものか」と思いますが、私自身が作曲家として楽譜を出す際にお待たせすることもありますので、何ともはや・・・。

 しかし、古典の作品であれば、すでに楽譜は出来上がっているので、事務の手順だけでどうにかなることです。(実はこんなところからも、事務局がしっかりしているかどうかで、演奏の水準が変わってくるという現実があるわけですが・・・)

 で、楽譜がある。音出しの初日は決まっているとなると、ともかくそこまでに「譜読み」をして、現場で使い物になるようにしておかねばならない。

 バイオリン・パートならバイオリンのパート譜に書かれた音符の音程、リズム、強弱などを守って音が出せるようになっていなければなりませんし、木管でも金管でも打楽器でもピアノでも、その事情は変わりません。

 「初見」つまり、初めてみた楽譜をとりあえずパパッと音にする能力に長けている人は、こういうときとても有利です。

 私自身、初見の得意なものと、決して得意とはいいがたいものとありまして、自分というマシンの作業効率は(これもそろそろ40数年ほど仕事目的で使っていますので)限界を知っており、苦手なもの、時間のかかるものは助走期間を長めに取る、つまり早くから準備を始めるなど、セルフ・コントロールしています。

 でも、いかに「初見」に強かろうと、初見というのは初見に過ぎません。

舞台俳優とアナウンサー

 これは、舞台俳優が台詞をしゃべることで考えればよいでしょう。どんな原稿でも初見でよどみなくしゃべるアナウンサーがいるとしましょう。

 と言うか、アナウンサーは大体そういうものですよね。ニュース原稿なんて、直前に仕上がってくるものも多いわけですから。

 じゃ、そんなアナウンサーのように、どんな台本でもパパっと見てサッと「しゃべれちゃう」俳優が、もっとも人の心を深く動かす名優か、と問われれば、必ずしもそうかどうか、分からない、としか言いようがないでしょう。

 もっと言えば、どんな台本でも読めるけれど、台本がなければ言葉が出てこない、というアナウンサーであれば、舞台上でドストエフスキーなりチェーホフなり、あるいはシェークスピアなりラシーヌなり別役実なりベケットなり、本格的な舞台の主役を張って、満場のお客に感動をもって家路についてもらえるかと言われれば・・・たぶん、無理でしょう。

 小器用にあれこれ処理できること。これは秀才になる1つのコツであります。これにも良い点はある。しかしそれは決して万能ではないし、人間の価値としてもっとも深く大きなものが、小器用さだけで成就できる、ということは、まずもって保障がない。