「桜江町の桑茶」が全国ブランドに育つまで

新色の「葉っぱビジネス」最前線(後篇)

2012.11.09(Fri) 田中 淳夫
筆者プロフィール&コラム概要

 各地に生まれた「葉っぱビジネス」を、前後篇にわたり報告している。前篇では、柿の葉をつまものやチップ、パウダーに活用しようとする人物を紹介した。

桑畑の古野俊彦氏。新たに桑畑をつくるのは近年では珍しい。桜江町では、桑の新品種の栽培にも挑戦している。

 後篇では、従来はなかった葉っぱビジネスに取り組んだ地域と人を紹介する。島根県江津市桜江町の古野俊彦さん(68)だ。

 古野さんが目をつけたのは、桑の葉だった。農業生産法人の有限会社「桜江町桑茶生産組合」を立ち上げて、桑の葉のお茶を生産するとともに、周辺商品をどんどん広げている。そして町を支える大きなビジネスへと育てたのである。

 「現在は3社体制になっていて、2011年の連結決算は売上高2億9300万円でした。雇用も50人を超えています。放棄状態だった桑畑約120ヘクタールが復活しましたし、新規定住者も増えました」。古野さんはそう話す。

戦前の日本の代表的産業だった養蚕

 島根県の中部に位置する江津市は、江の川の舟運と日本海側に開けた港町として江戸時代から栄えたが、戦前は製糸業が発展する。いくつもの製糸工場が海沿いに並んでいた。そして2004年に合併した桜江町は、江の川の中流域に広がる典型的な中山間地で、生糸生産に欠かせない養蚕が盛んだった。当然、桑畑も多く広がっていた。

 養蚕に始まる生糸の生産は、戦前の日本の一大産業。一時は輸出額の過半を占めたこともある。近代日本をつくり上げた“功労者”だ。

 カイコは桑の葉しか食べないため、養蚕には桑畑が欠かせない。日本が養蚕王国だった時代には、全国に桑畑が77万ヘクタールも広がっていたという。これは現在の農地の3分の1を占める規模だ。桑の木は、農山村の風景に必ず登場する樹木だったのである。

 しかし、戦後は安い海外産生糸が増えたことに加え、化学繊維の普及で壊滅状態になった。桜江町の養蚕は消え、桑畑も放棄されていく。そしてひなびた山里になってしまった。最盛期に比べて人口も半減したという。

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1959年大阪府生まれ。日本唯一の森林ジャーナリストとして、主に森林や林業をテーマに取り組むほか、山村社会の文化や田舎暮らしなども追いかけている。著作に『割り箸はもったいない?』(ちくま新書)、『森林からのニッポン再生』『森林異変』(以上、平凡社新書)、『日本人が知っておきたい森林の新常識』『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』(以上、洋泉社)など多数。


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