世の中で「高学歴」とされる学生たちを数千人単位で見てきて思うこと、前回と違う事例をもう1つ引いて考えてみたいと思います。
別の東大生のケース
2001年か2002年の東京大学教養学部、文理共通全学必修「情報処理」の文科1、2類クラスでの出来事です。ちなみに当時は「国立大学」でしたので、私たち大学教師(助手・講師・助教授・教授はまとめて教授職 professors; assistant professor, associate professor, full professor になります)は「教官」と称されていた、そんな頃のお話です。
午前中の文系クラスが終わり、昼休みを挟んで午後の理系クラスの準備を、200人定員の巨大でシュールな情報教室(タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」に出てきそうな感じの部屋)の教卓でしていたときのことです。
「先生さー」
と声をかけてきた2人組の男子学生がありました。
「何させたいんだか分かんねーんだよね」
凄い口の利き方だな、と思いつつ、「どうした?」と応じますと
「問題、何させたいのかよく分かんねーんだよ。これこれやれって言われたら、それやってやっからさ、何したら『優』くれんの?」
というのがやって来ました。前回引いた理系のケースと双璧で、7年間で数千人教えた中でもかなり極端なケースの「文系学生編」で、これはまた凄いのが来たな、と思いました。
この話を書くのはここ10年で3回目くらいだと思います。この学生たちに関することそのものは、朝日新書『バカと東大は使いよう』の18ページ以下に記していますので、もし興味がおありでしたら、そちらをご参照下さい。
ここではエピソードそのものというより、その背景にあるものを検討してみたいと思います。