かつて新宿は歌舞伎町の入り口に、ちょいと小洒落た「インドネシア料理店」がありました。
何でもスカルノ大統領とデヴィ夫人の出会いと関係があるとかないとかいう伝説もあった店で、実際のところ海外からの賓客をお連れするのにもイイ感じで、大事な相手との食事などに利用していたのですが、10年ちょっと前に閉店してしまいました。
この「インドネシア料理」、インドネシアと銘打っていますが、太古の昔からインドネシアに住む人々のための料理というのとは、実はちょっと違うんですね。
もちろん、そういうものもメニューの中に入っているかもしれませんが、一番の目玉は、俗称「バタヴィア料理」という特徴的な歴史を持つ食べ物だったのです。
西欧人にとってのエスニック料理
このバタヴィア料理、古代・中世からジャワ島やスマトラ島に元来住む人の食べ物、ではなく、マゼランやコロンブス以降の近世、インドネシアにやってきたヨーロッパ人たちが様々な食材を持ち込み、現地で調達できる食材で作り出した、ヨーロッパ人のための食べ物として生まれた側面があるというのです。
もっと具体的に言えば、オランダ人あっての料理らしい。
オランダ。これは長崎の出島を考えると分かりやすいでしょう。江戸幕府の260余年、鎖国と言いながら、唯一長崎の出島で日本の幕府公認の国交と貿易を続けていた唯一の西欧国家です。
公認とあえて強調するのは、私のルーツは佐賀でして、鍋島藩が幕末に強力な水軍を持ち「薩長土肥」の一翼として肥前の名が上がっていたのは、西洋近代兵器で武装していたからです。
つまり幕府非公認の貿易があったからにほかならず、これがあり、肥前の水軍の大砲が狙っていたからこそ、西郷隆盛と勝海舟の「江戸城無血開城」など明治維新が動いた歴史があるからでありますが・・・閑話休題。
東アジアの地にカトリックを布教しようとするスペインやポルトガルの神父たちは「キリシタン伴天連のたぐい」としてことごとく追放あるいは処刑されてしまいました。
しかし、カトリック布教に興味のないプロテスタントのオランダは、交易の実利を求めて日本と行き来をするわけです。