このシリーズの第1回で米倉誠一郎氏がイノベーションを技術革新と捉えるのは狭い考え方だと語っている。今回は、私の専門である「標準化」の観点から、それを一歩進めて、「技術進歩を止める」ことも重要なイノベーションの動力源であることを説明してみたいと思う。
技術の進歩は日進月歩で続いている。しかし、その技術を市場に投入するために「製品」の形にするには、その製品に使う技術を決定しなければならない。さらに、その製品が普及してイノベーションを起こすためには、ある程度の時間が必要だ。
普及学の権威であるE.M.ロジャーズは、数多くの新技術普及事例を調べ、「新しい技術が市場に受け入れられるには、最初にごく少数の冒険的採用者や、それに続く初期採用者が存在し、それらの行動に慎重派や懐疑派が追従することが必要である」ことを示した。このイノベーションの普及過程は普遍的なものであろう。
しかし、もしも技術進歩が速く、初期採用者が新技術を受容する前に新しい技術が提供されたとすると、どうなるだろう。新技術の普及過程はリセットされ、また冒険的採用者への普及から再開しなければならない可能性もあるだろう。
購入を検討している間にどんどん技術進歩したパソコン
1990年代のパソコンに、その一例を見ることができる。当時、パソコンの技術進歩は急速で、パソコンを買おうとして製品を物色したり、詳しい人のアドバイスを受けたりしている間に、次々に新しい機種が出て、買うタイミングを逃し続けた経験がある方も多いはずだ。
当時のパソコンはMPU性能、メモリーやHDDの記憶容量、画面サイズ、そしてソフトウエアの機能などが次々に進歩しており、購入して半年もすると旧機種となってしまうことが確実であった。さらに、どの方向にどの程度進化するかが見極められないため、家庭用や個人用としてパソコンを買う層にとっては、技術進歩が大きなリスクだった。
企業はリース制度を利用して、技術進歩の早いパソコンを導入することができた。しかし、一般消費者は一度購入すると、かなり長期間使い続けなければならなかった。ハードウエアが旧機種となれば、最新ソフトが動作しないリスクが伴う。このリスクがパソコンの普及を一家に1台以下に押し留めていたと見ることもできるだろう。
しかし、現在、そのような状況は見られない。高性能・大規模といった方向のパソコンの技術競争は、多くのユーザーが必要としない技術レベルにまで達し、もはや製品の魅力になっていない。多くのユーザーは、必要十分な性能を備えた低価格なネットブックに価値を見出し、パソコン市場は一気に低価格競争に突入した。
つまり、パソコンは高性能化・大容量化の技術進歩が止まることで、一家に1台から、1人1台への普及の時代に入ったと見ることができる。
現代の標準化とは人工的に技術進歩を止めること
パソコンにおける高性能・大容量方向への技術進歩の価値低下は、技術進歩がニーズを凌駕したための自然発生的なものであった。
しかし、技術進歩が高速化し、日々新しい技術が生まれる現代においては、新しい製品を市場で普及させるために、技術進歩をあえて一定のレベルで停止させ、それを宣言することが必要になってきている。この活動が現代の「標準化」だ。
旧来の20世紀の標準化は、市場が選んだ技術をオーソライズする役目を担っていた。すなわち、技術進歩が止まった部分を見つけ、その部分を安定化させるために「標準」として規定するのが、標準化の重要な役割だった。