「平安時代日本に死刑はなかった」という「史実」が、21世紀の法務省での会合でほとんど説得力を持たず、当時の鳩山邦夫法務大臣に死刑大量執行のアリバイすら与えてしまった経緯から、私は、その場で鳩山氏も言及した自らの命をもって責任を取る「日本の伝統」なるものの正体を追究したいと考えるようになりました。

聖徳太子(ウィキペディア

 改めて問題を考え直してみると、平安時代の日本は「法治国家」ではなかった、という単純な事実に行き当たります。なるほど、9世紀の日本にも「法」のように見えるものはありました。律令制です。しかしこれは本当に「法律」なのか?

 より古く「聖徳太子」こと厩戸皇子の「十七条憲法」にさかのぼれば、これは官僚機構のモラルを説く道徳訓であって、現代で言うところの「法律」ではありません。

 また大宝律令(702)以前、大化改新期の「班田収受の法(646)」にしても、律令制施行後の「墾田永年私財法(743)」あるいは「蓄銭叙位令(711)」などにしても、支配者の発する個別の命令という側面が強いことを確認しておかねばならないでしょう。

 つまり、なるほど、唐の律令制度に準拠しているとはいえ、元来の唐制も含め、論理的に整合した法体系という考え方は希薄で、個別の統治ルールが束ねられているというのが実のところだと言わねばなりません。

 翻って、現在の日本は「法治国家」と言われる。この「法治国家」における法には、何が必要とされるのでしょう? 少なくとも「律令制」は「法治国家」を保証しなさそうです。どこかに何か死角がありそうです。

憲法の考え方と訳語のミス

 今日言うところの「法治国家」のポイントは「憲法」にあります。これはつまり「国家」を統治するための法、基本法だということです。

・・・と言っても、単にこう書くだけでは、ポイントが分かりにくいかと思います。

 何が「律令制」と違うのか。

 それは「律令」が、国家権力者による民衆支配のための<ルール>の列挙であるのに対して、法治国家に求められる「法」あるいは「基本法」としての「憲法」は「国家権力自身を縛る法」である、という根本が、全く異なっているわけです。

 この点で考えると、英語で言うところの「コンスティテューション」の訳語として聖徳太子の時代からあった「憲法」という言葉を宛てたことには、妥当な面と妥当でない面があることが明らかになってきます。