鈴木修氏(右)とインドのモディ首相(2012年7月撮影、写真:AP/アフロ)

 日本独自の規格である軽自動車。今では年間販売台数の上位半分以上を軽自動車が占める。その原点とも言えるのが、スズキ中興の祖である鈴木修氏が生み出した「アルト」だった。さらに同氏は、このアルトをインドに持ち込み、「インドの自動車の父」となった。その足跡を追った。

修氏なくして世に出ることはなかった「ジムニー」

 今年(2025年)1月30日、スズキは4輪駆動車「ジムニー ノマド」を4月3日から日本国内で発売すると発表した。

 小型車でありながら悪路走破性に定評のあるジムニー初の5ドア車の前評判は上々で、発表から5日間で5万台を受注した。そのあまりの人気ぶりから、スズキはノマドの受注を一時停止せざるを得なくなった。スズキにとってはうれしい誤算だった。

 ノマド発売を発表した1月30日には特別な意味がある。発表会で鈴木俊宏・スズキ社長は、挨拶の冒頭こう切り出した。

「実は本日、ジムニーの生みの親である、故・鈴木修の誕生日です」

 鈴木修氏(以下修氏)は、スズキ社長・会長を40年にわたり務め、2024年12月に94歳で亡くなったスズキ中興の祖。俊宏社長はその長男だ。そして俊宏社長の言葉にあるように、修氏なくしてジムニーが世の中に出ることはなかった。