歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。その
「諸人に慈悲深く」
戦国大名・伊達政宗の言行について記された『名語集』(政宗公名語集。別名は政宗記)。その中において政宗は、家臣に対し、他人(主君や他家臣)への配慮を説いていました。他人への配慮が結果的には、御家のために、そして自分(本人)のためになるということです。
では、政宗は家臣にはどのようなリーダーとして、見られていたのでしょうか。その事を『名語集』から探っていきたいと思います。
先ず、政宗は『名語集』の著者によれば「諸人に慈悲深く」接したようです。家臣が物事に「怪我」(過ち)がないように、奉公が進むように采配・処置していたというのです。他家においては「鬼神」の如く思われているようだが、政宗の顔色が悪い(機嫌が悪そうな顔)時を見たことがないと、著者(伊達家重臣)は記しています。
政宗の側近く仕える家臣たちは「毎日毎夜」ご奉公するわけですが、どんな人であっても、身分の高い低いに関係なく、政宗の御前に参じれば立つことを忘れるのだそうです。つまり、居心地が良いということです。よって、御前に居にくいとか、ご奉公がやりにくいといったことを思ったことは「夢々これなく」という有様でした。
ご奉公する者に対し「善悪を仰せ分けられ」、御知行や金銀・諸道具などの「御褒美」を時を移さず、与えたそうです。前述したように、政宗は家臣らに他人への配慮を求めましたが、政宗自身もまた家臣に配慮していました。他人より頻繁に御前に詰めている家臣に対しては「最早、気も詰まることであろう。一度、心を慰めてから、また参って詰めよ」との言葉をかけてくれたそうです。
また、体調不良で御前に参じると「養生せよ。今日は休め」との温かい言葉を家臣が頂戴することもありました。「役人は気の詰まることが多いもの」と言い、魚・鳥、その他の物を与えることもあったそうです。「奉公人の病は、その身にとって大きな敵じゃ」との言葉をかけることもあったようですが、こういった言葉をかけられた家臣たちは、感激したことでしょう。
病を患っている家臣がいると聞くと、薬師(医師)に命じて、病に関する「品々」を届けることもあったとのこと。こうした情けをかける事を側近や重臣のみならず「末々の者」までにも行なっていました。
こうした事もあって、家臣たちは、政宗のためならば「火の中、水の底」までもご奉公する心情になっていたのです。よく奉公する者は、しっかりと取り立てるという事を政宗はやっていましたので、家臣らは余計に感奮したことでしょう。