仙台城の本丸北壁石垣と仙台の街並み 写真/Gengorou/イメージマート

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います

連載
歴史の偉人に学ぶ リーダーシップの極意

不確実な時代だからこそ「故きを温ね新しきを知る」ことがより大切になります。本シリーズでは、歴史上の偉人たちが成し遂げた業績と、その背景にあるリーダーシップや組織づくりなどの背景やストーリーを学ぶことで、ビジネスパーソンとしての知性と教養を磨きます。

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「諸人に慈悲深く」

 戦国大名・伊達政宗の言行について記された『名語集』(政宗公名語集。別名は政宗記)。その中において政宗は、家臣に対し、他人(主君や他家臣)への配慮を説いていました。他人への配慮が結果的には、御家のために、そして自分(本人)のためになるということです。

 では、政宗は家臣にはどのようなリーダーとして、見られていたのでしょうか。その事を『名語集』から探っていきたいと思います。

 先ず、政宗は『名語集』の著者によれば「諸人に慈悲深く」接したようです。家臣が物事に「怪我」(過ち)がないように、奉公が進むように采配・処置していたというのです。他家においては「鬼神」の如く思われているようだが、政宗の顔色が悪い(機嫌が悪そうな顔)時を見たことがないと、著者(伊達家重臣)は記しています。

 政宗の側近く仕える家臣たちは「毎日毎夜」ご奉公するわけですが、どんな人であっても、身分の高い低いに関係なく、政宗の御前に参じれば立つことを忘れるのだそうです。つまり、居心地が良いということです。よって、御前に居にくいとか、ご奉公がやりにくいといったことを思ったことは「夢々これなく」という有様でした。

 ご奉公する者に対し「善悪を仰せ分けられ」、御知行や金銀・諸道具などの「御褒美」を時を移さず、与えたそうです。前述したように、政宗は家臣らに他人への配慮を求めましたが、政宗自身もまた家臣に配慮していました。他人より頻繁に御前に詰めている家臣に対しては「最早、気も詰まることであろう。一度、心を慰めてから、また参って詰めよ」との言葉をかけてくれたそうです。

 また、体調不良で御前に参じると「養生せよ。今日は休め」との温かい言葉を家臣が頂戴することもありました。「役人は気の詰まることが多いもの」と言い、魚・鳥、その他の物を与えることもあったそうです。「奉公人の病は、その身にとって大きな敵じゃ」との言葉をかけることもあったようですが、こういった言葉をかけられた家臣たちは、感激したことでしょう。

 病を患っている家臣がいると聞くと、薬師(医師)に命じて、病に関する「品々」を届けることもあったとのこと。こうした情けをかける事を側近や重臣のみならず「末々の者」までにも行なっていました。

 こうした事もあって、家臣たちは、政宗のためならば「火の中、水の底」までもご奉公する心情になっていたのです。よく奉公する者は、しっかりと取り立てるという事を政宗はやっていましたので、家臣らは余計に感奮したことでしょう。