前田チームの「一番搾り麦汁ビール」と、企画部とマッキンゼー混成チームの新商品。どちらを商品化するかを決める社内コンペが開かれた。

「ハートランドプロジェクト」のメンバーだった太田恵理子は、この時リサーチャーとして新商品の市場調査を担当していた。複数回実施した消費者調査と、社内テストの結果、前田チーム案の「一番搾り麦汁ビール」が「ぶっちぎりにスコアが高かった」と太田は証言する。

 企画部・マッキンゼー混成チームの新商品は「キリン・オーガスト」という名前だった。

 カタカナのネーミングから、若者がターゲットなのは明白だった。肝心のビールの中身はドライタイプで、よく言えば「スーパードライ」の大ヒットを受けた手堅い味。悪く言えば独創性に欠けていた。

 それでも、デザインは非常にクオリティが高かった。日本広告史に残る超大物デザイナーが手掛けたともいわれている。その点でも、企画部・マッキンゼー混成チームの「本気度」は半端(はんぱ)ではなかった。ちなみに広告代理店には博報堂がついていた。

 一方の前田チームは、「一番搾り麦汁だけを使った贅沢なビール」を提出。軽快なドライでも、重厚なドイツタイプでもない、「ピュアな味わい」を追求していた。

 この時点の名称は「キリン・ジャパン」。デザイナーは「丸井の赤いカード」で名を馳(は)せた佐藤昭夫と、キリンデザイン部の望月寿城が担当。広告代理店は電通だった。

 社内コンペが開かれたのは、89年の年末である。「大一番」は前田チームの圧勝に終わる。僅差(きんさ)を予想した人があっけなく感じるほどのワンサイドゲームだった。

 当時を知るキリン元幹部は次のように述懐する。

「『キリン・オーガスト』の『オーガスト』とは英語で8月の意味。もともと、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが、誕生月の8月に自分の名前をつけたという語源がある。アウグストゥスは養父ジュリアス・シーザーが、誕生月の7月に自分の名前をつけたことにならったもの。企画部・マッキンゼー混成チームの『キリン・オーガスト』というネーミングは、こうした故事をもとに、『皇帝』を想起させる意図があった。ただそれには説明が必要で、一般消費者にはわかりにくいと評価されました」

<連載ラインアップ>
第1回 “聖域”の ラガーをたたき潰す、キリンにラベルのないビールが誕生した理由とは
第2回 キリンの天才マーケター・前田仁にとって不可欠だった「アイデアの源泉」とは?
第3回 ぜいたくなビールを「スーパードライ」「ラガー」と同じ価格で、天才マーケター・前田流のこだわりとは
■第4回 「麦汁の一滴は血の一滴」工場の猛反発にもかかわらず、なぜ「一番搾り」は商品化されたのか?(本稿)
■第5回 「ラガーの生ビール化」で失敗の黒歴史、当時のキリンを覆っていたある組織体質とは?(10月2日公開)
■第6回 窮地のキリンを救った大ヒット発泡酒「淡麗」で、天才・前田が仕掛けたマーケティング戦略とは?(10月9日公開)

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