■ 機械式時計から学ぶ情緒的価値を提供する重要性

 機能的な価値だけでなく、情緒的価値を商品に植え付けないとヒットを飛ばすのは難しい。

 例えば、機械式時計がわかりやすい。1970年代に正確なクオーツ時計が量産されるようになると、機械式時計は絶滅の危機に瀕した。だが、コロナ禍で、高額な機械式時計が売れているというニュースを見たり聞いたりした人も多いのではないか。

 高級機械式時計というと「ロレックス」が有名だが、それ以外にも「フランク ミュラー」や「パテック フィリップ」などが富裕層や若いビジネスマンに人気だ。不遇の時代にあっても伝承技術を絶やさなかった老舗メーカーも偉いが、復権の一番の立役者は何と言っても、クオーツから機械式時計に再び心変わりを始めた消費者だ。

 クオーツ技術によって生み出された正確な時計は、時計の機能的価値を極限まで高めた。クオーツ時計が市場を席巻したのもそれゆえだ。ただ、実はここに落とし穴があった。世の中の時計の大半がクオーツになってしまえば、差異化が難しくなる。つまりクオーツである以上、どの時計も正確。その時点で、時計の持つ最も基本的な機能である正確性で差異化する余地が残されなくなった。

■「心の喜びを重視する」価値観

 機能的価値で差異化が難しくなったとき、改めて見直されるのが情緒的価値だ。換言すれば、「心の喜びを重視する」価値観だ。つまり正確な時刻を刻むことではなく、身に着けたり眺めているときに心が喜ぶことで時計の価値を評価しようという消費者心理の変化がいつの間にか発生し、それが徐々に広がったからこそ、機械式時計の復権が起きたわけだ。

 ポイントとなるのが、歴史や職人芸、希少性など時計にまつわる物語性が豊富かどうか、ということだ。それに元来、男性はあまりアクセサリーを身に着けないが、美意識のジェンダーフリー化が進んでいることも、個性派ぞろいの機械式時計の復権を後押ししている。コモディティ化はどの商品ジャンルにも起きる悲劇だが、脱出の知恵を機械式時計から学べる。