生物界における突然変異のように、一人の個人が誰も予期せぬ巨大なイノベーションを起こすことがある。そのような奇跡はなぜ起こるのか? 本連載では『イノベーション全史』(BOW&PARTNERS)の著書がある京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンスの特定教授・木谷哲夫氏が、「イノベーター」個人に焦点を当て、イノベーションを起こすための条件は何かを探っていく。
今回は第1回に続き、創業者のモリス・チャンがTSMCを成功に導いた要因を探る。世界最大級の半導体メーカーと「ファウンドリービジネス」はいかにして生まれたか。
生物界における突然変異のように、一人の個人が誰も予期せぬ巨大なイノベーションを起こすことがある。そのような奇跡はなぜ起こるのか?京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンスの特定教授・木谷哲夫氏が、「イノベーター」個人に焦点を当て、イノベーションを起こすための条件を探ります。
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TSMCにはグランドデザインはなかった
1986年7月、モリス・チャンは工研院院長に就任した当日、前任者から取り組むべき案件のTo Doリストを手渡された。リストの一番上が、米国から帰国した技術者が新竹サイエンスパークで創業した半導体企業3社のために、ウエハー製造工場の建設を急ぐことだった。
当時は、日立、富士通、東芝などの日本企業が半導体業界で世界を席巻していて、台湾には町工場しかなかったが、台湾当局は、日本のような垂直統合型の半導体メーカーの立ち上げを夢見ていた。
当初は、3社がそれぞれウエハー工場を造り、それを支援する案が出されていたが、政府にはそこまでの予算はない。そこで、ウエハー製造能力を有する企業を設立し、そこに3社が生産を委託するという案に落ち着いたのだった。
「ファウンドリー」と「ファブレス」の分離というグランドデザインがあったわけではなく、その時点の制約条件から導かれた解決策だったのだ。TSMCの設立時の資金の48%は政府が拠出し、27.5%はオランダのフィリップス、残りの約25%が他の民間企業だった。
つまり、TSMCのウエハー製造工場は、新竹サイエンスパークに設立した半導体スタートアップを支えるために必要に迫られて造られたものであり、モリス・チャン個人の構想やビジョン、グランドデザインに基づくものではなかったということだ。
実は「ファウンドリーモデルを考案したのは誰か」ということは1990年代に台湾のメディアで話題の種となっていた。TSMC創業の5~6年前に、米国の半導体専門家が出版した書籍の中にファウンドリーモデルのような半導体のサプライチェーンのアイデアが書かれていたことが分かり、モリス・チャンでも他の台湾人の発明でもなかったことで決着している。