日本経済新聞編集委員の太田泰彦氏(撮影:川口紘)

 世界最大の半導体ファウンドリーであるTSMC(台湾積体電路製造)が熊本に進出し、工場を建設した。TSMCはなぜ、世界最大の半導体メーカーという地位を築くことができ、新拠点として日本を選んだのか。一方、かつて半導体王国といわれ栄華を誇った日本の半導体産業は、どうして地盤沈下してしまったのか。新興半導体メーカーのラピダスは果たして成功できるのか。『2030 半導体の地政学』(日本経済新聞出版)を出版した日本経済新聞編集委員の太田泰彦氏に半導体業界の潮流と日本の半導体産業復活の可能性について聞いた。

TSMCのビジネスモデルと勝因

――TSMCが熊本に工場を設立し注目されています。TSMC自体は1987年の設立ですが、半導体の受託製造というビジネスモデルでいまや世界最大のファウンドリーとなっています。TSMCはどうしてこの地位に上り詰めることができたのでしょうか。

太田 泰彦/日本経済新聞編集委員

外交、通商、イノベーションなど国際情勢をテーマに、世界を回り取材している。米国のMITに留学した後、米国でワシントン、欧州でドイツ・フランクフルト、アジアでシンガポールに駐在。ダボス会議はじめ各国の国際会議に招かれ、英語による講義、講演、モデレーションを多く手掛けている。中国の「一帯一路」構想などに関する報道で2017年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。ニュース関連の報道のほかに2005年から10年間にわたり一面コラム「春秋」の執筆を担当。プライベートでは日本の伝統的な感性を究めようと、能楽シテ方観世流の仕舞と謡を稽古している。上智大学非常勤講師(22年4月〜)、東京大学公共政策大学院非常勤講師(23年4~8月)、関西学院大学国際学部非常勤講師(23年4月~)。

太田泰彦氏(以下敬称略) TSMCがなぜ強くなったのかということは、裏を返せば、日本はなぜ弱くなったのかということにつながります。それを考えればおのずとTSMCが強くなった理由も分かるでしょう。

 一言で言えば、グローバリゼーションへの対応です。グローバリゼーションとは、自由貿易が基本です。関税を下げ、非関税障壁をなくして、ヒト、モノ、サービスの、国境を越えた移動をしやすくすることを前提にしています。

 2000年頃、そのグローバリゼーションが大きく進展し、結果として水平分業が進みました。半導体では、アメリカが設計して、台湾や韓国の企業が作る。お互いにメリットのあるWin-Winの関係が成立し、グローバルなサプライチェーンが構築されました。でも、日本はその流れに乗りませんでした。全部自分たちでやる自前主義を守ろうとしたのです。そこが一つの岐路になりました。

 その後、台湾や韓国では政府が国策として半導体メーカーをがっちり支え、育てました。しかし、日本の政府はそれをしませんでした。半導体の製造には膨大な資金が必要です。工場一つ建てるのに兆円単位の資金が必要です。日本は資本競争で負けた。それも大きな理由の一つです。

――TSMCの成功については、創業者であるモリス・チャンの手腕を評価する人も多いですね。

太田 確かに彼は卓越した経営者と言えます。彼が考え出した、半導体の受託製造というビジネスモデルが優れていました。米国の企業に代わり自分たちが製造しただけではなく、研究開発も行う最先端の工場も造りました。そうすると技術進歩が起きるので、次はさらに先進的な半導体ができます。例えば回路の線幅が7ナノメートルから5ナノメートルになる。それまでの古い工場はどうするかというと、前の世代のレガシー半導体を作り続けるわけです。最先端の半導体よりむしろレガシーの方が量的に需要が大きいからです。古い工場はもう償却が済んでいるので利益率も高い。全部数珠つなぎのようにつながっていて、無駄がないのです。

――それまで半導体の受託製造というモデルはなかったのですか。

太田 ありませんでした。アメリカの半導体メーカーは、それまでは自分たちで設計して自分たちで製造していました。しかし、製造はコストがかかり面倒なため、アジアの企業に委託することを考え、製造をやめることにした。それをうまく拾ったのが台湾や韓国の企業だったわけです。