歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。その
不確実な時代だからこそ「故きを温ね新しきを知る」ことがより大切になります。本シリーズでは、歴史上の偉人たちが成し遂げた業績と、その背景にあるリーダーシップや組織づくりなどの背景やストーリーを学ぶことで、ビジネスパーソンとしての知性と教養を磨きます。
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「あやぶまず、心安く用をたす」
戦国大名・伊達政宗は「独眼竜政宗」として、今なお根強い人気を誇っています。人気を博した大河ドラマ「独眼竜政宗」が現在、再放送中ですが、その政宗の言行を記した書物に『名語集』(政宗公名語集。別名は政宗記)があります。『名語集』が誰の手によって書かれたものなのか、はっきりした事は分かっていません。
政宗の重臣で『成実記』を記したことで知られる伊達成実が著者ではないかという説。政宗に近侍した重臣が作者だという説。伊達重臣が記した後で、侍女が書き加えたのではないかという説など様々あります。
ここで作者の推定をすることは控えますが『名語集』はその内容から政宗に側近く仕えた伊達重臣であることは確かでしょう。では、『名語集』には、政宗のどのような言葉が記されているのでしょうか。全てを紹介することはできませんが、リーダーとしての政宗の息遣いが聞こえる言葉を紹介していきます。
ある時、政宗は次のようなことを話したと言います。「奉公人は身分の高い者も低い者も、手を清めるという心持ちが肝要である」と。普段召し仕っている小姓たちが、自分(政宗)の御前に出れば「髭を抜け、髪をなでよ、刀を持て」というような事を命じられることになります。
そういった際、手を水で清めて入れば「あやぶまず、心安く用をたす」ことができると政宗は言うのです。手水を使わず、つまり手を洗わず御前に出てきたならば、行き詰まることがあるとも政宗は言っています。手を清めず御用を勤めたならば「気遣いが多いだろう」と言うことです。
こうした事は、この件に限らず「万事にわたる」ことと政宗は言っています。手を清めるように「心掛けを良くすれば、何事も行き詰まることはない」と言う事を政宗は家臣に言いたかったようです。「多くの人にこの心持ちをたえず持たせたいものだ」と政宗は語っていたということですから、政宗としてはこれまで述べてきたような心掛け、精神を非常に大事に思っていたと言うことでしょう。