2024年2月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は国産ロケット「H3」の打ち上げに成功した。日本の宇宙開発を担うJAXAのルーツを遡ると、かつて東京大学にあった糸川英夫氏の研究室にたどり着く。その糸川氏を長年間近で見続けてきたのが、2024年2月に著書『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』(日経BP)を出版した田中猪夫氏だ。「国産ロケットの父」と称される糸川氏のイノベーションの源泉について、田中氏に聞いた。(前編/全2回)
■【前編】国産ロケットH3に宿る「ロケットの父」糸川英夫氏の哲学、その原点となった「母の教え」とは(今回)
■【後編】マスコミからの厳しい批判を鎮静化、「国産ロケットの父」糸川英夫氏が生んだ“突拍子もない発想”
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JAXAにも受け継がれた「専門家を束ねるための理論」
──田中さんは著書『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』に登場する「組織工学研究会」で事務局運営を務めていたとのことですが、糸川英夫氏との出会いはどのようなものだったのでしょうか。
田中猪夫氏(以下敬称略) 糸川氏との出会いは、糸川氏が創設した「組織工学研究会」のメンバーに紹介を受けたことがきっかけです。私は研究会の活動に興味を持ち、事務局員として10年間、糸川氏と共に活動してきました。
糸川氏というと、戦前は「戦闘機」、戦後は「国産ロケット」を開発したイノベーターとして知られていますが、ロケット研究から身を引いた後には、創造型組織を研究の対象にしました。
ロケットという一つの大きなシステムを構築するためには、専門の異なるさまざまな領域の人が互いに協力しなければなりません。しかし、それぞれの分野が全く違うため、話をまとめることは困難を極めます。そこで、専門家を束ねるために重要な役割を果たすのが「システム工学」です。
いくつものロケット開発のプロジェクトに取り組んだ糸川氏は、このシステム工学の分野では日本のトップクラスの人物でした。そのDNA(ミーム)は、今のJAXAにも脈々と受け継がれています。
──田中さんはどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。
田中 私は大学を中退後にIT企業を創業し、約10年経営していました。糸川氏の組織工学研究会に入会したのはその頃です。その後、イスラエルとビジネスをはじめ、現地企業の日本進出に携わり、次にデジタルマーケティングやグローバルリスクマネジメントの領域に携わりました。振り返ると、10年ごとに仕事を変えています。
どのような仕事においても、自分が描いたキャリア通りに進むことは稀なことです。私も仕事で成果を出していたものの、買収などによって何度もどん底に突き落とされました。
しかし、どの仕事に就いても一定の成果を出し続けることができたのは、糸川氏が提唱する「システム工学」が私のバックボーンにあり、状況に合わせてすぐに方向転換できたからです。