テレビ事業の赤字をきっかけに続いたどん底の時代を乗り越え、2024年3月期決算では過去最高の売上高13兆円超を記録したソニー。危機的状況の中、平井一夫社長兼CEO(当時)のもとで同社の再生に辣腕を振るい、その後の再成長の土台を築いたのは、現在グループ会長CEOを務める吉田憲一郎氏だ。ソニーを40年にわたり取材してきた経済ジャーナリストの片山修氏は、「先行きが不透明で変化の激しい時代にこそ、吉田氏のような新しいタイプのリーダーが求められる」と述べる。前編に続き、2024年9月に書籍『ソニー 最高の働き方』(朝日新聞出版)を上梓した同氏に、ソニー躍進の秘訣(ひけつ)や吉田憲一郎会長CEOにまつわる秘話を聞いた。(後編/全2回)
自立した事業がシナジーを生む「令和のソニー」
――前編では、企業改革の柱となった人材のシフトや、ソニー独自の人事制度について聞きました。著書『ソニー 最高の働き方』では、ソニーが行った一連の改革について解説していますが、なぜ「第2の創業」と表現したのでしょうか。
片山修氏(以下敬称略) ソニーグループ会長CEOの吉田憲一郎氏は、2021年4月に、ソニーから「ソニーグループ」へと商号を変更し、グループ本社機能と事業運営機能を分離して持ち株会社に移行しました。持ち株会社の名称を「ホールディングス」ではなく、あえて「ソニーグループ」とした点に、吉田氏の経営機構改革、いわば「第2の創業」に対する根本的な思想が込められています。
一般的には、持ち株会社が株式保有によって子会社である事業会社を管理し、子会社はぶら下がる形で事業を運営します。しかしながら、吉田氏は「組織は本能的に自立を志向するのが自然であり、大組織にぶらさがるのはソニーらしくない」と考えていました。そのため、本社の役割は各事業会社を「管理」ではなく「支援」する役割と再定義し、「ホールディングス」という名称を使いませんでした。
また、祖業であるエレキ部門を独立させ、他のゲーム、音楽、映画、半導体、金融事業と同列に位置付けています。自立した各事業がフラットにつながる体制を築き、連携強化を図ったのです。
つまり、吉田氏はソニーの再成長のストーリーを描く上で、エンタテインメント事業を核にしたことが分かります。ものづくりの象徴的存在だったエレクトロニクスの会社「昭和のソニー」から、エンタテインメントの会社「令和のソニー」への転換と表現できます。