メンバーシップ型からジョブ型へのシフトが叫ばれるようになって久しいが、多くの日本企業は旧態依然とした人事制度から脱却できていない。本質的な問題はどこにあり、どうすれば変わることができるのだろうか。GE Japanの人事責任者やLIXILグループの執行役副社長などを歴任し、上場企業のアドバイザーを務めているpeople firstの代表取締役である八木洋介氏に聞いた。
「不思議の人事」から抜け出せない理由はどこにあるのか
職能資格制度と実際のビジネスとの乖離、実力主義の時代なのに年功序列、まだ活力がみなぎっているのに定年制、実力が同じではないのに同じ初任給、ビジネスは待ってくれないのに定期異動、優秀な人材が必要なのに遅れるダイバーシティ、グローバルに通用しない人事制度など、八木洋介氏は日本の人事の現状を「不思議の人事」と指摘する。
確かにこうした状況では厳しいグローバル競争には勝てない。しかし、なぜそうなってしまったのだろうか。八木氏は「原因を一言で言うと、人事が戦略ではなく“文化”になってしまったからです。昔ながらのやり方を繰り返す経路依存性に陥り、戦略人事が実現できていません」と語る。
「不思議の人事」と指摘される人事制度はかつては戦略的なものだった。高度成長期で大量消費の時代にあって、企業が成長していくのに適していたのである。しかし、企業の競争環境が大きく変化したことで、以前の人事戦略は戦略的ではなくなってしまった。それが分かっていながら変えることができない経路依存性に陥っているのが現状だ。
同氏は戦略人事と人事戦略を似て非なるものと定義する。戦略人事とは経営戦略を実現するために人に関わる戦略を重点的に策定して実現することである。一方で、人事戦略は人事に関わる業務をどう実現するかという視点で策定した人事の全体戦略のことだ。
「人事戦略としては、最初に人事や人材に対する思想や人事ビジョンがあり、その上で人材ポートフォリオや人事制度、組織設計など個々の戦略を策定していきます」と八木氏は思想やビジョンの重要性を強調する。この部分が曖昧なままでは、自社に合った人事戦略を策定することはできない。だからこそ戦略的思考が必要とされる。
企業として目指す姿から導き出された企業戦略の実現にあたって人にフォーカスしたのが戦略人事であり、戦略人事は全体の人事戦略という基盤にのったものものだと考えると、企業戦略と人事戦略は必然的に一体のものになるはずだ。
例えば、経営戦略としてグローバル企業を目指すのであれば、人事のグローバル化は必須であり、人事戦略もそれに則ったものになる。グローバル人材を採用しやすい人事制度に改定し、既存の人材に対する教育や研修もグローバル化を促すものを優先して導入していくことになるだろう。
求められているのは「ベストプラクティス」としての戦略人事ではなく、差別化された自社独自の戦略人事である。八木氏は「戦略とは差別化することであり、パーパスや目的を達成するための経営戦略も他社とは違うはずです。戦略人事であるためには、流行に惑わされることなく差別化することが必要です」と説く。
人で未来の価値を生み出すために人事がやるべきこと
他社をまねするのではなく、経営戦略と一体となった戦略人事を考える上で重要なのが“人”をどう位置付けるかだ。昨今では「人的資本経営」が大きなテーマになっているが、日本企業は従来から人を大切にしてきたはずだ。まず今までと何が違うのかということを明確にしておく必要がある。
八木氏は「人は未来への期待を生み出す源泉です」と語る。人的資本経営では、人を「今を実践する資源」と捉えるのではなく、「未来に価値を生み出す資本」と位置付ける。しかし、人を「資源」と呼ぼうが「資本」と呼ぼうが人事は人を大切にするという本質は変わらない。
人的資本経営が耳目を集めているのは、企業価値における無形資産の重要性が注目されるようになったからだ。先行きが見えない競争環境にあって、未来の価値を生み出すのは工場などの有形資産よりも、知財や人材など無形資産の力が大きい。アメリカでは企業の総資産の9割が無形資産になっているが、日本ではいまだに7割が有形資産で占められている。
無形資産へのシフトを促すために日本政府は「人的資本可視化指針」を打ち出し、大手企業には人的資本の情報開示が義務付けられた。しかし、八木氏は「単純な開示には意味がない」と指摘する。
「人事情報の開示の目的は人事戦略を透明性高く開示し、企業価値を高めることです。戦略性のある人事を実現し、未来に対する期待を高め、企業のイメージを向上させ、投資を誘発することに結びつけていかなればなりません」(八木氏)。
そのために必要なのが戦略人事であり、差別化である。開示したKPI(重要業績評価指標)の意味を背後にある思想と共に戦略的に展開することに意味がある。求めているのは標準化された人事ではなく、未来に期待を生み出すストーリーなのだ。
「指標化すること自体にも罠が潜んでいます。人に関することにはKPIにできないもの、単純に数値化するべきではないものも多くあります。数値化できないことをマネジメントの重要課題から排除してしまう危険性もあります。人を生かすためには定量化された指標だけではなく、定性的な評価も大事なのです」と八木氏は警鐘を鳴らす。