日本の企業経営の大きな課題の1つに、20年近く上がらなかった給与水準、つまり従業員軽視の傾向がある。「もっと従業員に厚い手当を」という声は高まっており、企業が従業員に配慮することが企業価値向上につながるという議論が盛んになっている。この「人」(従業員)を軸とする経営の重要性への言及は今に始まったことではない。日本では1987年に、資本主義ならぬ「人本(じんぽん)主義」が提言されていた。人本主義の提案者である一橋大学名誉教授の伊丹敬之氏に、人を軸とする経営とは何か、今という時代に人本主義を見直す意味を聞いた。
日本の企業システムの良さは人的資本を大切にする人本主義だ
――伊丹先生は、1987年に「人本主義」という経営理念を提案されました。そして今こそ、経営者は人本主義を考えるべきだというメッセージを発信されています。
伊丹敬之氏(以下敬称略) 私は三十数年前に『人本主義─変わる経営 変わらぬ原理』という書籍を上梓しました。それから一貫して、企業経営における人的ネットワークと人材の重要性を強調しています。
人本主義には3つの柱があります。1つ目は、会社は従業員のものであるということ。会社法では株式会社は株主のものですが、「実感として誰のものか」という点において、従業員のものと明確に規定しています。2つ目は、組織の中で働いている人達に対して、金と権力と情報を平等に分配すること。社長と一般従業員の給与格差は、あっても10から15倍程度と考えます。3つ目は、市場には売り手と買い手がいますが、いずれも運命共同体であると考えて、皆で長期的かつ継続的な市場を目指そうというものです。
日本は戦後、こうした人本主義を効果的に資本主義と組み合わせることで、高度成長期を生み出したと思います。それは1991年のバブル崩壊まで続きました。最近では経済産業省も人的資本経営を推奨しており「人材版伊藤レポート2.0(2022年5月)」とともに、人的資本の価値を最大化させるための取り組み事例などを公開しています。
私からすると再びという感はありますが、人的資本経営に注目することは大賛成です。10年ほど前、官主導でコーポレートガバナンス改革が進められました。この改革には、過度な株主傾斜に至った負の側面があります。
人的資本経営は官主導の色合いが強いですが、多くの経営者は過度な株主傾斜の問題点に気づいています。今こそ日本らしい経営方針である人本主義を踏まえた上で、株主ではなく人的資本を大切にするべきです。