岡埜本店 取締役副社長の榊 萌美氏(撮影:川口 紘)

 埼玉県・桶川市で、赤字経営だった老舗和菓子屋をよみがえらせた“若き女将”がいる。1887(明治20)年創業の「五穀祭果をかの」6代目の榊萌美氏だ。大学在学中に店を継ぐことを決心した榊氏は、当時人気のなかった葛ゼリーをアイスにした「葛きゃんでぃ」を考案し大ヒット。その後もフルーツ大福や地元食材を使ったかき氷などの人気商品を次々に生み出した。さらには不採算商品の販売を中止し、残り商品の値上げで収益を改善するなど、経営者としての才覚も見せている。大学まで家業を継ぐ気はなく「ギャルだった」という榊氏。一体どのように経営のノウハウを身につけ、実践してきたのか。和菓子の販売で大切にしていることとは何か? 榊氏に話を聞いた。

最大の失敗が生んだ「従業員を守り、顧客関係を切らさない予約システム」

――榊さんが「をかの」に入社したのは2016年、20歳の頃です。当時の経営状態は厳しかったのでしょうか。

榊 萌美/岡埜本店 取締役副社長

1995年3月2日生まれ。埼玉県桶川市にある創業136年の和菓子屋「五穀祭菓をかの」の次女として誕生する。大学へと進学したが、目標を失い中退。母の入院をきっかけに和菓子屋を継ぐことを決める。溶けないアイス「葛きゃんでぃ」をヒットさせた他、お金をなるべくかけない地道な経営改善でV字回復を果たす。デジタルとアナログどちらにも力を入れた改革が注目され数々のメディアで話題となる。
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好きな言葉:「自分の好きな自分でいる」「足るを知る」
注目している経営者・ビジネスパーソン:田中修治(OWNDAYS代表取締役社長)
おすすめの書籍:「風の谷のナウシカ」

榊萌美氏(以下敬称略) 入社時の状況ははっきりと確認していないのですが、4、5年後に経営に携わるようになり決算書を見ると、10年連続で赤字を継続していました。負債は4000 万円ほど。債務超過の状態で、明日までに銀行にお金を振り込まなければという日もありました。

――その状況下で経営再建に向けて動いていくわけですが、入社後まもなくして、榊さんが考案した新商品「葛きゃんでぃ」がヒットします。どのようにアイデアが生まれたのでしょう。

 当時、商品ロスの多さを改善したいと考えた中で、「葛ゼリー」という商品は賞味期限が2日しかなく、在庫ロスも多いため、販売をやめたほうがいいのではないかと母に相談しました。すると「あなた、ゼリー好きだったじゃん」と言われ、思い返すと私は“凍らせた” ゼリーを食べるのが好きだったんですね。

 そこで考えたのが、葛ゼリーをアイスにして商品化することでした。凍らせれば日持ちするのでロスも軽減できます。さっそく葛粉の問屋に聞くと「アイスにすることは問題ない」との話でした。

 ちょうどその1週間後に地元の祭があったので、職人の父がアイスに仕上げて試作品を販売。すると、それまで葛ゼリーは1日1 個売れるかどうかだったのが、アイスにすることで2日で1000本売れたのです。この結果をもとに「葛きゃんでぃ」として商品化しました。

 ただ、本当のヒットはそれから4年後、2020年になります。きっかけは、かつて「葛きゃんでぃ」を紹介してくれた番組の再放送でした。ネットショップには1日2500件、5万本弱の注文が入り、製造も発送もパンクしてしまうほどでした。これだけの注文に対応できる仕組みづくりができておらず、従業員にもつらい思いをさせてしまいました。

 葛きゃんでぃはその後も売れ続け、和菓子を減らしてアイスばかり作る状況になり、20年勤めてくれていた職人を含む3人の従業員が辞める結果にもなってしまいました。このときの経験は、私にとって「をかの」入社後最大の失敗であり、これを機に予約システムを改善しました。

――どう改善したのでしょうか。

 「をかの」のネットショップは「BASE」のプラットフォームを使っており、2カ月先まで予約できます。1週間ごとに予約の上限を設け、注文数が多くなり過ぎないよう配分する形にしました。一方、2カ月先までの上限に入れずあふれてしまったお客さまもまた予約いただけるよう、毎週月曜には次の予約期間の案内をメルマガで配信し、お客さまと関係性が途切れないようにしています。