地方の中小企業、それも「下請け仕事」が大半だった小さな企業が​、新規事業を立ち上げ、いまや全国にビジネスを展開している−−。そんなストーリーを実現したのが、静岡県静岡市のトムスだ。同社は静岡新聞社が立ち上げた地場のマーケティング会社だが、2018年から新規事業に本格着手。三つの事業が立ち上がり、その一つである「企業のDX支援事業」は全国展開するほどに成長した。「地方中小企業×新規事業」はつながりにくい項目に思えるが、なぜできたのか。カギになった二つの戦略がベテラン社員を大きな武器にした 「ビジョン策定 」と「OKR」だという。推進役を担ったトムス取締役COOの中川豊章氏に聞いた。

新規事業を生み出すために、まずは「ビジョン策定」から

中川 豊章/トムス 取締役 COO

大学卒業後、大手メーカーに入社し、OA機器パートナー事業に従事する。2013年にUターンで静岡市に戻り、現株式会社トムスに入社。Webマーケティング事業の立ち上げ、地方中小企業向けDX事業を立ち上げる。2022年6月現取締役COOとなる。事業転換の指揮をとり、ビジョン設計、評価制度の再設計、社内DX化、人事制度変更を3年間で実施。商圏も静岡県だった事業を全国に広げ、現在に至る。静岡市産のアカモク(海藻) の普及活動、日本お茶割り協会アンバサダー、環境保全NPO法人の副理事としても活動する。

 創業35年、社員20名強のトムスは、静岡新聞社の子会社として販促支援のマーケティングや市場のデータ調査などを県内で行ってきた。ほとんどの仕事は、静岡新聞社からの発注だったという。

 しかし、「静岡県内の元請け企業からの案件が次第に縮小し、年々収益を上げにくい状況に。みずから事業を作り出す必要が出てきました」と中川氏。そこで2018年から、多くの社員を巻き込み新規事業の創出に注力したという。

 それから現在までに立ち上がった新規事業は三つ。なかでも地方企業のDX支援事業、具体的にはCRM(顧客関係管理)ツールの活用・導入を支援するサービス「クラウドラボ」は、静岡県を超えて全国に展開。新しい収益の柱となった。

 これら新規事業の創出を牽引したのが中川氏だ。もともとトムスでは、新たな収益源を確保すべく、デジタルマーケティングの事業などに着手していた。中川氏はその立ち上げに関わっていたことから、このプロジェクトでも推進役に任命された。

 とはいえ、下請け仕事が多い中で社員がいきなり新規事業を考えるのは簡単ではない。そこで当時から、大きく二つのことを行ってきたという。一つ目が「ビジョンの策定」。会社が向かうべき方向性を定めることだった。一体なぜなのか。

「地方企業でよくあるのは『なんでもいいから新規事業を作れ』というもの。しかしこれでは、あまりに範囲が広すぎてどこを目指していいかわからず、新規事業を考えにくい。私たちも過去にそれで失敗していましたし、もっと方向性を絞るべきだと思いました」

 ビジョンを定めた理由は他にもある。新規事業は、あくまで既存事業をしっかり回す中で考えなければならない。しかし「地方の中小企業は、ヒト・モノ・カネのリソースがどれも足りていません」と中川氏。その中では、まず無駄な作業を減らして空いた時間で新規事業を生み出す必要がある。

「そこで私が無くそうと思った作業が、形だけの上長承認でした。そうして社員の空いた時間を作り、かつ自分で判断して進められる環境を作ろうと考えたのです。ただしこの場合、個人の判断が会社の方向と合致していることが大切。そのためにはビジョンの策定が必要で、これがうまくいけば、一人一人が判断し実行できる、しかも会社の進む方向に合致した言動が現場から生まれるのではないかと思いました」

 こうして、まずはビジョン策定のワークショップを社員と行った。最初にできたビジョンは「積極的マーケティング都市・静岡をつくる」 。かつて静岡はマーケティング都市として知られ、企業のテストマーケティングが盛んに行われていた。それを取り戻したいという意味合いだったという。

「このビジョンをもとに新規事業のタネをいくつか作りました。デジタルマーケティングの事業が多かったのですが、進めるうちに、地方の中小企業はデジタルで企業のマーケティングを支援するよりも、むしろ企業内部のデジタル化・DXを支援する方が事業としての可能性が高いとわかってきたのです」

 そういったニーズをふまえ、2021年にビジョンを書き換えた。それが「地方の“働く”にもっとわくわくを」である。現在も採用されている。

「新規事業のニーズが明確になる中で、エリアを“静岡”から“全国の地方”に広げ、一方で対象を“マーケティング”から“働く”にフォーカスしました。クラウドラボはこのビジョンを体現したサービスであり、ビジョンの中でエリアを地方へと広げたことが、のちの全国展開につながったと思います」