伝統の織物である「播州織」が根付く兵庫県・北播磨地域。この地で70年以上にわたり播州織の事業を続けてきた植山グループは、4代目の植山展行氏が25歳で社長に就任してから、大規模な業務改善・システム改善に着手した。現場から嫌がられ、「社長の責任だ」と批判を受けながらも、受発注のリードタイムを半分に縮め、売上高も月平均4%アップに成功。財務状況も改善し、自己資本比率は16%から46%まで向上したという。では何をしたのか。植山氏は「高度な改善をしたのではなく、当たり前のことを泥臭く、地道にやってきました」という。ただその改善プロセスの中には、同じ課題を抱える地方企業の参考になるものがあるかもしれない。

5カ所の拠点を1カ所に集約した「植山カットセンター」を設立

植山 展行/植山グループ 代表取締役

大学卒業後、大手メーカーに就職し、金融機関向けの入出力関連のソリューション営業に従事。江戸時代から続く播州織産地の老舗企業を、先代の急逝により、25歳で承継。2020年Forbes JAPAN「ローカルヒーロー賞」を受賞。植山グループは2022年経済産業省「次代を担う繊維企業100選」に選定。

「社長に就任したとき、経営状況は非常に苦しく、つぶした方がいいとさえ言われたこともあります。ただ、植山グループは私にとっての実家ですし、働いている人もたくさんいる。会社を永続させ、利益を上げることがみんなのプラスになると思いましたし、その一心で業務改善を行いました」

 織物業の盛んな北播磨において、植山グループは1948年から事業を営んできた。商社・問屋の下請け仕事から始まったが、1980年代からM&A(合併・買収)を繰り返し、経営を多角化。オリジナル生地の製造・販売も行った。加えて、2000年代後半には中国や欧米など海外にも進出。国内3拠点(兵庫・大阪・東京)、海外4拠点(中国・アメリカ・フランス・タイ)を擁し、グローバルに展開してきた。

 グループ各社の役割を見ても、生産工場、加工会社、商社、販売会社などと多岐にわたる。EC販売も展開中だ。社員数は100名を超える。

 2011年、先代の急逝により、25歳で突如このグループを引き継ぐことになったのが植山展行氏だ。当時、経営状況は良くなく、また傘下の企業や拠点が多い一方で、それらの業務が整理・統一されていなかったという。「会計士さえ各社バラバラの状況でした」と話す。

 そこで植山氏は、抜本的な業務改善・システム改善に乗り出す。まず2013年に行ったのが「拠点の集約」だ。受注数量が多く、対応スピードが求められる「サンプル」の受注・出荷・在庫管理を1か所にまとめるUCC(植山カットセンター)を設立した。

「当時は5拠点がそれぞれ別々に在庫管理や納品を行っており、また一つの商品を各拠点で分担することも珍しくありませんでした。そのため、生地のロスや余りが多く発生していたのです」

 さらに、在庫の管理体制も見直した。というのも、植山氏が各拠点を見回ったとき、「どうやってこの在庫の中から生地を探すのか分からないほど、煩雑な状態で保管されていた」と素直に話す。棚に入った生地の並び方にルールがないことも多く、すでに使われていないブランドネームが入ったものも置かれたままだった。「各拠点がその状態で、グループ一括の在庫管理や受発注もしていませんでした」という。

 生地の納入では、一般的にサンプル品を送ってから正式な注文を受ける。いかに素早く正確にそれをできるかが生命線であり、この管理状況は大きな課題だった。

「そこで管理方法や倉庫の使い方を構築し直したほか、生地にはそれぞれQRコードを添付し、それに基づいて在庫や出荷管理を行うようにしました。注文がなければQRコードを読み込んでもその生地をピックアップできない形にしたほか、この生地を何m切るかといった発注内容も表示されるように。現場のミスが生まれにくく、従業員が作業しやすい仕組みにしました」

 こういった改善は「もちろん当時の倉庫担当者から嫌がられました」と振り返る。「在庫管理について重箱の隅をつつくように一つずつ確認しましたから」と話す。それでも説得を続けていったという。

 なお、UCC構築には国の「ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金」を活用し、コストも最小限に抑えたという。