2000年のASIMO(2018年にホンダが開発中止)、2014年のPepper(最近、存在感が大きく低下)、最近では2018年のLOVOT・・・。過去の失敗や、成功とは言い難い事例を教訓にテスラの今回のチャレンジを危ぶむ声も聞こえてくる。
口さがない評論家は、今回のオプティマスの発表は「打ち上げ花火」で、株価対策が真の目的ではないかと詮索する(筆者注:事実、「AI day 2022」の直後の10月3日、7~9月の出荷台数が市場予測に大きく届かなかったことから、テスラの株価は急落し、一時前週末比で6.5%安の248ドルをつけた)。
純粋にロボットが行うタスクだけに特化するなら、掃除ロボットのルンバやファミレスなどで働く配膳ロボット「BellaBot(べラボット)」(液晶パネルの絵柄はネコ顔だ)のように「車輪型」を選択したほうがリーズナブルだ。技術的なハードルの低さだけでなく、ロボットの製造や維持にかかるコストが圧倒的に安くて済むだろう。
しかし、それではあまりにも「夢」がない。テスラのような先進テック企業が社運をかけてまで、尖ったブランド価値を下げてまで取り組むプロジェクトではない、と筆者は思う。
コストを超えた夢の部分に人型ロボットの利点があるとすると、それはロボットと生活する人間に対して「人間に対して感じるような愛着」や「エモーショナルな感情」を引き起こす(人間にネガティブな感情や未知のリスクを引き起こす可能性もあるが・・・)ということではないか。
米ボストン・ダイナミクスの人型ロボット「Atlas(アトラス)」をご存知だろうか? 動画を見ると、階段を駆け上がる、宙返りする、段差を乗り越えるその俊敏な動きを見ると、それはもはや機械ではなく、魂の宿った生き物のようにすら思える。
また、これはSFの世界の話ではあるが、2015年に日本でも公開され、話題になった映画『エクス・マキナ』。美しい女性型AIロボットが人間の「愛着」の感情を逆手に取って、自身の開発者である巨大IT企業の社長を殺害し、監禁されていた山間部の別荘兼研究所から巧妙に脱走するというストーリーであった(ちなみに映画のタイトルの「エクス・マキナ」(ex machina)は「機械仕掛けの神」という意味である)。
(参考)「機械仕掛けの神、AIは人間の敵か味方か」(「JDIR」2017年5月29日)