映画「エクス・マキナ」は警鐘を鳴らす
人間が行動する動機は、AIのアルゴリズムの動機とは異なる。人間は本能的に、自分自身と自分の身の回りの人間の安全や利益を守ろうとするだろう。
しかし、AIのアルゴリズムではそれが保証されるとは言い切れない。その帰結として、AIが日常生活や企業活動に入り込む近未来においては、人間にとってしばしば不都合な真実が垣間見える。
「エクス・マキナ」(Ex Machina)。これはアリストテレスの『詩学』で批判的に語られている演劇技法のことだ。
収束がつかないほどもつれた劇の最後の場面で突然、クレーンで吊られた役者(機械技掛けの神=Deus ex machina デウス・エクス・マキナ)が降臨して話をまとめてしまう急転直下の演出を意味する。
もっとも、近未来の機械仕掛けの神(AI)は、必ずしも観客が期待するハッピーエンドをもたらすとは限らないかもしれない。
2016年の夏に日本でも公開された映画『エクス・マキナ』(アレックス・ガーランド監督、2015年)は、人間とAIの行動の動機の違いについて鋭く問題提起を行ったという点でいずれ見直され、高く再評価されるだろう。
世界最大のネット企業で働く、若きプログラマーが社内懸賞で当選して、山奥で研究三昧の隠遁生活を送る創業者の家に1週間招かれる、というところからこの映画のストーリーはスタートする。
「Blue Book」(青色本)という検索エンジンを開発し巨万の富を築いた伝説的な天才創業者の家で、若いプログラマーは可憐で美しきアンドロイド・エヴァ(Ava)に出会う。
実は創業者の家は別荘にカモフラージュされた最新鋭かつ極秘のAI研究開発拠点であり、若きプログラマーに課された役割はエヴァにチューリングテスト(注:アラン・チューリングによって考案された、機械が知的であるかどうかのテスト)を施すことだった。