前回は、減産時の在庫管理の方法を取り上げました。減産時は金額ではなくリードタイムで在庫量を把握しないと危ないということをお話ししました。

 しかし、自分で工場に行っても、倉庫を見ても、「とやかく言うほど在庫はない」と思っている人がまだ多いようです。つまり、減産によってリードタイムが長くなると、隠れた在庫が増えるということが分かっていないのです。

 そういう人のために、場面を変えて、もう一度しつこくお話ししたいと思います。

内製化を進めた、かつての自動車メーカー

 自動車メーカーは1970年代後半から、新製品の立ち上がりや新工場の建設の度に、コスト低減、生産性向上を目指して外注業者の整理、統合、内製化などを進め、それができないものについては場内外注化等を図って効率化を進めてきました。

 筆者が1980年、初代「ソアラ」の組立課長として田原工場に赴任した時は、まさにその動きがピークの頃でした。

 田原工場では、ボディー用の主要プレス品を全部品生産していました。また、大きな樹脂部品工場を建て、内装品からシート用クッション、樹脂バンパーまでを内製していました。敷地内では鋳物の鋳造から機械加工、組み付けまでのエンジン一貫生産も行いました。

 初代ソアラは、以下のようにまさにジャストインタイム生産でした。
(1)燃料タンクの製造を車両ラインと同期させ、溶接・塗装・組み付け・車両への搭載を行っていました。
(2)シートのスプリング、シートフレームは内製。車両ラインと同期を取ってカバーリングし、約10台分の安全在庫でメインラインの車両に組み付けていました。

 こうすることでリードタイムの短縮を図り、生産性は大幅に改善されていました。

増産に次ぐ増産で外注に頼らざるを得なくなった80年代

 その後の80年代は日本の景気がどんどん過熱し、車を造る端から売れ、増産に継ぐ増産が続きました。

 工場もどんどん規模を拡大しました。田原工場を例に取れば、人口3万人足らずの渥美半島の農村に、数年の内に従業員6000人余の工場が出現するようになったのです。

 対岸の豊橋市は人口が33万人ほどでしたが、ここにトヨタグループの部品工場が集まり、そこで働く人の数は数万人とも言われました。ところが急膨張に次ぐ急膨張で、混乱の極みでした。住民にとっては、住む家がない、買い物をする店がない、交通手段がない、学校がない、病院がない・・・と、ない物ずくめで、これ以上の人員は受け入れられないという状況になりました。