政界引退を決めた菅直人氏政界引退を決めた菅直人氏

 昨年11月5日、立憲民主党の菅直人・元首相が記者会見を開き、次期衆院選には立候補しないことを正式に表明した。1974年、女性の地位向上に取り組んだ市川房枝氏の選挙を手伝ったことから、次第に政治の世界に入った菅氏は、1980年に初当選して政治家としてのキャリアをスタートさせた。

 1996年に民主党を結党し、2009年には政権交代を実現し、翌年には鳩山由紀夫氏の後を継いで総理大臣に就任した。ところが、総理就任から半年強で東日本大震災が発生。以後は東京電力福島第一原発の事故への対応に追われた。

「菅直人」とはどのような政治家だったのか。『市民政治50年 菅直人回顧録』(筑摩書房)を上梓した菅直人氏本人と、本書の執筆に携わった菅直人氏をよく知る作家の中川右介氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──「回顧録」というタイトルで今回、本を出版されました。なぜ本書をお書きになったのでしょうか。

菅直人氏(以下、菅):松下玲子さん(前・武蔵野市長)にバトンタッチして、私自身は次の選挙にはもう出ないと決めた時、政治活動を長くやってきましたので、これまでの自分の仕事をまとめてみようと考えました。

 そこで、私のことをよく知る作家の中川右介さんに手伝ってもらいながら、この本をまとめました。中川さんとは、まだ彼が学生だった頃からの、およそ40年の付き合いがあります。

──本には、菅さんが政治家になった経緯についても記されています。理科や数学が得意で東京工業大学に進学し、応用物理学科にいた菅さんは、卒業後、特許事務所で働きますが、次第に選挙運動にのめり込んでいきました。

菅:私の時代は学生運動が盛んで、私のいた東京工業大学は東京大学ほど激しくはなかったけれど、それでも半年ほどストライキがありました。大きなグループとしては「中核派」などがありましたが、私は「全学改革推進会議」というグループを立ち上げました。

 東工大の中には、中核系のグループと、私たちのグループと、穏健派のグループなどがあり、私たちが学生大会を開催すると、中核派がゲバ棒を持って粉砕にきました。

 私たちのグループは「ゲバ棒は持たない」というルールを決めていました。殴られても大丈夫なようにと、母が雑誌やカマボコの板などをはめこんだ防護服を作ってくれたこともいい思い出です。

 機動隊が入るくらい騒ぎになった集会もありましたが、半年くらい経つとストが終わり、みんな学校に戻っていきました。

 書名の『市民政治50年』は、卒業後、市民運動を始め、その延長で1974年の参院選で、市川房枝さんの全国区の選挙で事務長をしてから、ちょうど50年という意味です。

──その2年後の1976年にご自身も選挙に出ますが、最初の3回は落選しています。3回落選してもあきらめようとは思わなかったのでしょうか。