仲本工事さん。2016年11月30日撮影、東京都目黒区(写真:共同通信社)

 2022年10月19日夜、ザ・ドリフターズの仲本工事さんが入院先の病院で息を引き取った。仲本さんは、前日の朝9時ごろ、横浜市内の道路を横断中に、ワゴン車にはねられ、救急車で病院に搬送されていた。

 当時、仲本さんと妻・純歌さんは週刊誌報道の渦中にあった。とくに週刊誌によって「夫をゴミ屋敷と化した部屋に置き去りにする『モンスター妻』」との烙印を押された純歌さんは猛烈なバッシングに遭っていた。その純歌さんを気遣って、純歌さんが住むアパートに向かうところで仲本さんは事故に遭ったのだった。

 仲本さんがいなくなってしまったことで精神的にダメージを受けた純歌さんは、これまで表立って発言・反論をしてこなかったが、今年2月に著書を出し、いわれなきバッシングへの反論をし始めた。果たして週刊誌の報道は事実を伝えるものだったのか。そして、仲本さんと純歌さんの実際の夫婦関係は――(以下、敬称略)

第1回 猛バッシングに遭った妻が反論の著書、そして事態は法廷へ
第2回 裏取りもなし、あやふや情報をひっさげて週刊誌が次々参入してきた“吊し上げ祭り”

ネットのバッシング記事を目にすることもできないほどの憔悴ぶり

 仲本工事が事故死した後、週刊新潮によって「モンスター妻」のイメージを着せられた純歌へのバッシングはいっそう激しいものとなった。

 不幸中の幸いだったのは、仲本の死後、純歌にはネット記事を見るだけの元気もなく、長く床に伏せていたことだろう。この間、高齢の母親が必死になって看病し、なんとか元気づけようとしていた。

 当時の様子を純歌が振り返る。

「全く気力が湧かなくて何もしたくない状況でした。多分、うつ病になっていたと思うんですが、とにかくなにもやる気もなく、真っ黒なトンネルの中を彷徨っていて出口も見えない感じでした。仲本さんのことをいつも思っていて、『なんで亡くなったの?』っていつも頭の中をぐるぐると回るんです。その繰り返しでした」

 マネージャーの天野の目にも、仲本夫妻と古くからの知人だった西研一の目にも、純歌の精神状態はかなり不安定に映っていた。彼らは、ふとしたきっかけで仲本を追おうとするのではないかと危惧していた。高知から呼び寄せた高齢の母親が、純歌の世話をし、懸命に精神面のサポートも行っていた。