兵庫県豊岡市にある県立芸術文化観光専門職大学(写真:共同通信社)

 1984年に開業した東京都目黒区の小劇場「こまばアゴラ劇場」が、今年の5月末をもって閉館することが発表された。「劇場を通じて若手劇団を支援する」という目標を掲げ、様々な舞台芸術を紹介する文化の中心地として、40年にわたり活躍してきた。

 アゴラ劇場を運営・プロデュースしてきた劇作家・演出家の平田オリザ氏は、4年前から兵庫県豊岡市に生活の拠点を移し、兵庫県立芸術文化観光専門職大学の学長に就任している。なぜ今東京を去り、人口およそ7万人の町へ移り住んだのか。『但馬日記 演劇は町を変えたか』(岩波書店)を上梓した平田オリザ氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──2016年5月30日に、コウノトリ但馬空港で偶然会った中貝宗治さん(当時、豊岡市長)と飛行機の中で話したことから、舞台芸術を含んだ専門大学の設置の話が進み始めたと本書に書かれています。

平田オリザ氏(以下、平田):コウノトリ但馬空港では、ゲートから飛行機まで2分ほど歩くのですが、そこで中貝前市長から声をかけられました。この時に中貝さんにお会いしたのは確かに偶然でしたが、既に豊岡市の文化政策担当参与になっていましたので、それ以前にも頻繁にお会いする機会はありました。

 ちょうど専門学校が大学に昇格する「専門職大学」という新しい学校制度ができる予定でした(※)。中貝前市長は「この形ならば町に大学を誘致できるのではないか」と考えていたのです。

※専門職大学:2019年4月から始まった新しい学校制度。産業をリードする人材を育成するために、産業界と連携しながら、専門的なことを実践的に学ぶ学校。

 但馬空港から伊丹空港までは、わずか25分の短いフライトです。私たちはたまたま隣の席だったので話を続けました。中貝前市長の頭の中には「観光とモノづくりの専門職大学をつくりたい」という構想がありました。

 会話の中で、日本に演劇やダンスが本格的に学べる国公立の大学がないことは世界的に見ると恥ずかしいことであり、「もしそういう学校を設立することができるならば私は移住してきますよ」と半ば反語表現で言いました。「そんなことはまさかできないでしょうけれど」というニュアンスを込めて言ったのです。

 この時に中貝前市長は何かピンときたらしく、さっそく井戸敏三さん(当時 兵庫県知事)に相談に行きました。「よほど突出した内容でなければ、この過疎の地域に大学をつくっても人はこない」「全国から学生が集まるようなオンリーワンの大学をつくろう」という結論に至り、観光とアートでオンリーワンの大学を創設するという方針が決められました。

 直後に、知事選があり、井戸さんの公約にも大学の設立が入りました。そして、選挙の後、準備室ができ、そこからわずか3年というスピードで兵庫県立芸術文化観光専門職大学が豊岡市にできた。

──「普通の先進国なら必ずあるように、国立大学に演劇部をというのは日本演劇界全体の悲願であった」と書かれています。

平田:私は東京芸術大学でも長く教授をしてきました。芸大にも音楽学部と美術学部はありますが、演劇学部はありません。これが日本の教育の形です。

 他の国ではだいたい国立大学に演劇学部があったり、国立演劇学校があったりするのですが、日本には全くありませんでした。全部民間に任せてきたのです。

 また、ほとんどの先進国では高校の選択必修の中に演劇が入っています。

 日本は、音楽、美術、書道、学習指導要領によって工芸などを高校で習いますが、多くの外国では音楽、美術、演劇が必修科目です。最近調べたところ、OECD加盟国で演劇のない国は、日本を含めて3カ国だけでした。

 韓国はすべての高校の選択必修に演劇を入れました。台湾やシンガポールでも、演劇の授業のある高校が増えています。日本の場合、中学や高校には音楽や美術の先生はいますが、他の国では同じように演劇の先生も学校にいるのです。日本はアジアの先進国の中でも後れを取っています。

 そして、中高に演劇の授業があるからこそ、国立大学にも演劇の学部がある。このサイクルが他の国にはあるんですね。

 そのような中で、兵庫県は他の県に先駆けて、舞台芸術を含んだ専門職大学を設立しました。