事件発生当日、放火され煙を上げる京都アニメーションの第1スタジオ=2019年7月18日事件発生当日、放火され煙を上げる京都アニメーションの第1スタジオ=2019年7月18日(写真:共同通信社)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 36人が死亡、32人が重軽傷を負った2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人罪などに問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判が、ひとつの区切りを迎えた。

 この裁判の最大の争点は、刑事責任能力。すなわち、犯行時の青葉被告の精神状態にある。

被告は当時、心神喪失あるいは耗弱の状態だったのか

 刑法39条には「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為は刑を減軽する」とある。

 36人もの命を奪ったのであれば、まず極刑は避けられない。しかし、犯行時の心神に喪失が認められれば、罰せられることはない。喪失までいかなくても、正常に機能していない耗弱であれば、死刑は回避される。

 心神喪失あるいは耗弱で、刑事責任能力はあったのか、なかったのか。まずはこの最大の争点に絞って審理を進めてきた京都地方裁判所は、11月6日の第16回公判で検察側、弁護側双方による中間論告・弁論を行って、立証を締め括った。

 ここで検察側は「完全責任能力がある」としているのに対し、弁護側は「責任を問えるとは言えない」として、真っ向から衝突している。果たして、青葉被告は極刑に問えるのか、あるいは回避か。

 そこで、少し長くはなるが、検察、弁護側の双方の主張を、過去の事例と比較検討しながら論評してみたい。