6人が殺された熊谷連続殺人事件は最高裁に舞台が移った(写真:アフロ)

 2015年9月13日、民家の敷地に侵入し、埼玉県熊谷市の熊谷警察署で不審者として事情聴取を受けていたペルー国籍のジョナタンという男が逃走した。その日のうちに熊谷警察署の近くで、ジョナタンによる住居侵入事件が連続して2件発生。熊谷警察署は警察犬を動員するなどしてジョナタンの大探索を実施したが、この時点では逮捕に至らなかった。

 3日後の9月16日に逮捕されるまでに、ジョナタンは金銭の奪取などを目的に3件の民家を襲い、6人を殺害した。9月15日未明に、埼玉県警は全国に参考人として手配したが、3か所目の強盗殺人事件が発覚するまで、ジョナタンの逃走や住居侵入などの事件の詳細を公表せず、防災無線などを用いて近隣住民に注意を呼び掛けることもなかった。

 そのため、1件目の殺人事件が起きた後でも、妻と2人の子どもの命を奪われた加藤裕希さん宅では「怨恨などによる殺人事件」という程度の認識しか持たず、付近住民も大した危機感を持たなかった。

 加藤裕希さんは、当時の埼玉県警の付近住民に対する注意喚起が不十分だったとして埼玉県警を訴えているが、一審でも二審でも加藤さんの訴えは棄却された。なぜ熊谷警察署は地域住民に十分な注意喚起をしなかったのか。どうして裁判所は原告の主張を認めないのか。原告の代理人を務める高橋正人弁護士に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──2022年4月15日に第一審の判決が出され、2023年6月27日に第二審の判決が出されました。一審、二審ともに加藤さんの訴えは棄却されましたが、それぞれどのような判決だったのでしょうか?

高橋正人氏(以下、高橋):この一連の裁判で、国家賠償請求が認められる方法としては、様々なアプローチがあります。代表的なものに、下記4つの要件を重視する立場があります。

①危険の切迫性
②危険の切迫性に対する認識(一般的に「予見可能性」と呼ばれる)
③警察権行使の権限行使の容易性
④警察権の行使による結果回避の可能性

 第一審の判決の問題は、裁判官が「① 危険の切迫性」を最高裁の過去の判例とは異なる枠組みでとらえたことにあります。

 我々は、原告の権利利益に対する損害があったから損害賠償を求めている。ですから、裁判では、原告の加藤裕希さんの家に危険が切迫していたかどうかが問題になります。しかし、これは「ピンポイントに加藤さん宅で凶悪犯罪が起きる」という危険の切迫性を意味しているわけではありません。

 最高裁の過去の判例に、このようなケースがあります。伊豆諸島・新島(にいじま)の砂浜で、爆発しないまま海底にあった太平洋戦争時代の旧陸軍の砲弾が浜辺に打ち上げられて爆発し、偶然付近にいた住民が怪我をするという事件がありました。

 この時に、爆弾に触れた住民をAさんだとします。重要なのはAさんが爆弾に触れたかどうかではありません。問題は、そこに爆弾が漂着して、住民や周辺の人たちがその爆弾に触れる可能性があったということです。

 そのエリアの住民が触れる可能性があるという危険の切迫性があり、「そのエリアの住民」として、被害者Aさんが含まれていたからAさんが原告になり、損害賠償を請求した。しかし、Aさんでなくとも、BさんでもCさんでも、近隣に住んでいる住人であれば、この状況が問題だと感じて国に賠償を求めて原告になり得ます。

 ところが、熊谷の事件では、Aさんが爆弾に触れる可能性だけを裁判所は問題にしました。つまり「ピンポイントに加藤さん宅で事件が起きる危険の切迫性はなかった」という見方をしました。

 これは明らかにおかしい。加藤さん宅を含む、そのエリアに危険が迫っていたことが認められるべきで、そうすれば「そのエリア」内に住んでいる加藤さん宅にも危険が迫っていたことになる。

 でも、「危険の切迫性がないのだから危険の予見可能性もない」として、訴えは棄却されました。本当に裁判官が書いたのかと疑いたくなるほど稚拙な判決でした。