なるほど、この解説は腑に落ちる。当時の全景はこんな感じ↓だった。確かに建物の高さに対して幅が広く、内部も壁が多そう。

往時の俯瞰イラスト。このイラストは隈研吾氏の書籍『建築家になりたい君へ~14歳の世渡り術』のために筆者が描いたもの。隈氏は、自分が“ライト派”であることを公言している(イラスト:宮沢洋)

 浮き基礎についても、吉見氏は触れている。

 つぎに基礎の設計に移ります。ライトは「泥の上に建物を浮かす」という表現を用いましたが、べた基礎ではなく、地下部分もほどんどなかったので、真の「浮き基礎」ではなかったのです。

 (中略)杭は、約1.5mのクサビ形の木杭を打ち込んで引き抜いたあとの穴にコンクリートを流し込んで造られました。この杭は、クサビ形であろうとなかろうと、このような深い軟弱地盤に対してはほとんど効果はなく、地震によって孔雀の間の中央塔屋が60cmほど沈下し、その後も圧密沈下が進んで、長手方向の不同沈下は130cmくらいに達したようです。

 終戦後は進駐軍に接収されていましたが、私が1948年頃に通訳として調査に同行した経験では、軒の線が上下にひどく波打っていました。基礎に関しても、その耐震効果が謳われましたが、これも神話の域を出ないものです。

 しかし、旧帝国ホテルが建てられた1923年は、土質力学の父であるカール・テルツァーギ(Karl Terzaghi,、1883~1963)が粘土の圧密現象のメカニズムを初めて解明し、ドイツ語の本にまとめつつあった時期なので、ライトが圧密沈下を知らなかったのはむしろ当然です。

 ほら、筆者の“素人の勘”は当たっていた。真の「浮き基礎」ではない、と。いや、別にライト神話をディスりたいわけではないのだが(筆者もライトの建築は大好き)、災害の教訓としては「幅広で壁が多かったから」の方が学ぶべき点が多い。