「ライトの天才的耐震設計」は神話?

 筆者は構造の専門家ではないのでそれぞれの正しさはジャッジできないが、一番納得感があったのは、構造エンジニアで東京工業大学名誉教授、元地盤工学会会長でもある吉見吉昭氏(1928年生まれ)によるこの説明だ(太字部)。専門家が書いたとは思えない、やわらかい解説にうなった。

 当時はこの建物(帝国ホテル)が全く無被害であって、それがライトによる天才的耐震設計によるものであったというニュースが一人歩きして、神話にまで発展しました。それだけが理由ではなかったのかもしれませんが、1960年代になって取り壊す話が出ると、国の内外から保存の要請が起りましたので、大正末期の建築であったにもかかわらず、例外的に明治村に一部が移設されたほどです。

 組積造の2枚の壁の間にコンクリートを詰めた構造が主体で、耐震建築の泰斗であった内藤多仲(1886~1970)は「柱はすこぶる貧弱で小さく、大体4本の鉄筋しか入っていない。上下に不連続なものもある。外壁下は連続基礎で、内部はフーチング基礎。次の強震には耐えられないように見えた。」と書いています。

 確かに震害は小さいほうでしたが、東京では、煉瓦建物の19%と鉄骨・鉄筋コンクリート建物の20%が旧帝国ホテルより被害が少なかったようです。旧帝国ホテルの震害が軽かった理由としてはつぎのことが考えられます。

・軟弱地盤の長い卓越周期と対比して、建物の高さと幅の比(アスペクト比)が小さく、壁が多いため,建物の固有周期が格段に短かかったので、地震応答が小さかった。

・屋根が軽い銅板葺きであった。(これは建物の固有周期をいくらか短くする方向にも作用した。)

ホテル時代は、写真左手から両翼に広がる形で本体が続いていた