AI化が進む医療現場では医師に求められる能力も大きく変化している

 2月10日、群馬大学医学部から、「演劇を取り入れた必修授業の単位を落とし留年する学生が続出」した事態に対して

●3月中に救済の再履修科目を設け
●学生側には「陳謝」

 との報道があり、まるで鬼の首をとったかのごとき、SNSの類はもとよりメディアの配信する記事にも、その実かなり初歩的な勘違いを散見します。

 大学側は「2023年以降『授業の形式を見直すことも検討』」と報じられています(https://www.m3.com/news/iryoishin/1117131)。

 しかし、この種の実習をやめてしまったら、AI医療が前提となる2025~30年代以降の医療現場で、競争力ある人材を育てる上で日本は重大な支障を抱え込むことになるでしょう。

 そもそも、いったいどのような授業で、何に失敗した学生が単位を落としたのでしょうか?

外来診療とは「即興」で医師を演じること

 そもそも、根本的に間違っているのは「即興演劇で授業を行い」「評価が主観的で根拠があいまい」だという学生側の主張が、2020年代のグローバルな趨勢を一切見ていない点です。

 しかも、学生の主張と言いつつ、実際には本当のスポンサーである親、多くは医師でもあるかもしれないペアレンツ側の主張が時代錯誤と言っていい。

 冷静に考えてみてください。いま、1人の患者Aが病院Bを訪れ、医師Cの診断を受けたとしましょう。

 その際、医師Cは「即興的」に、患者Aの気に障るようなことを発現したとしましょう。

 疾病とは直接関係のない事柄、例えば心臓や高血圧で来院した患者に、太りすぎに関連して、特段の悪気もなしに、しかし身体の特徴に相手の取りようによっては侮辱的と思う発言をしたとします。

 それを侮辱と思うか思わないかは、はっきり言って患者の主観で、客観的な判定基準などありません。

 しかし、患者がそこで侮蔑されたと感じれば、それを出発点に何らかのトラブルが起きうる。

 特に、その後の治療に失敗などあった場合、深刻な医事裁判などに発展する可能性も、あり得ないとは言えなくなります。

 大半の医師の「臨床しゃべり」は、基本「即興」で反射的に発言している事実に注意しましょう。

 以下の本稿は、東京大学ゲノムAI生命倫理研究コアで生命倫理、生物統計に一定の責任をもつ教官職として、専門の観点から記すものです。ただし文責はすべて筆者にあり、東京大学には一切ありません。