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(文:石川雄介)

米中対立やロシア・ウクライナ戦争など、国際社会の地政学・地経学的な緊迫が高まるとともに、SNSによる情報操作や偽情報など認知戦領域の脅威も増している。「中立性」の名の下、センシティブな内容や意見が対立するテーマを排除してきた従来の日本の政治教育は、この現実に対応できない。

 ロシア・ウクライナ戦争開始から8カ月弱、日本の教育現場での政治・安全保障教育は戦争前と大きく変わることはなかった。侵略直後こそロシアによる戦略を学校教育においてどう扱うのかと議論にはなったが、蓋を開けてみれば、例えば、鳥取県では鳥取市内の中学校・高校18校中1校しかロシア・ウクライナ戦争を授業で扱っていないという。

「政治」不在の政治教育

「教育者が政治問題に触れることを恐れて、結局教育の中に正しい政治的判断をする力が養われないような、そういう無気力な教育になってしまう虞れがある」。1954年、教育二法(詳細は後述)に関する法案審議での鵜飼信成(憲法学者、東大教授)が表明した危惧が、改めて現実のものとなっている。

 日本の教育政策において、「政治教育の中立性」をめぐる課題は、1950年代から国際的な政治教育の潮流を踏まえることなく放置され続けてきた。しかし、米中対立やロシア・ウクライナ戦争を始めとした地政学・地経学的な対立が激化する中で、認知戦、情報戦、サイバー戦は常在戦場で行われ、国家と国民の基盤が蝕まれている。SNSによる情報操作や偽情報(ディスインフォーメーション)などにより民主主義への脅威も顕在化している。こうした認知戦に勝ち抜く上でも、政治教育に「政治」性を取り戻し、政治リテラシーを向上させる必要がある。

政治教育は1950年代から封じられている

 政治や安全保障についてはじめに学ぶ場所である初等・中等社会科(公民科)教育では、「政治的中立」という名のもとに、センシティブな内容や、意見が対立するようなテーマが排除されてしまっている。なぜ積極的な政治教育が学校で行われないのか。その根源は、1950年代の教育二法(「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」及び「教育公務員特例法の一部を改正する法律」)制定、その後の1960年の学習指導要領まで遡る。

 戦後当初の日本の社会科教育は、実際の政治問題をもとにした問題解決型、そして、民主主義実践型の教育からはじまった。例えば、吉田定俊による「水害と市政」という教育実践においては、生徒自身の水害の体験をもとに、過去の水防計画も参考にしながら今後のあるべき水防計画についての検討がなされていた。

 ところが、1950年代、日本の再軍備について保守と革新派での対立が深まる中、教育委員会が「偏向している」という理由から教職員組合が作成した教材の利用を禁止するなど、いわゆる「偏向教育」が問題視され始めた。

 そうした流れを受けて、1954年に教育二法が制定され、「政治的中立」の確保のために、教員の政治的行為が制限されるとともに、教員への教唆扇動を通じた「特定の政党などを支持させ、またはこれに反対させる教育」が禁止された。

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