フェイクニュース拡散手段として最も多いのは、実は身近な人との直接の会話である。さらに、身近な人の話は信じやすいというバイアスも存在する。人類社会に普遍的な現象として存在していたフェイクニュースが、ネットだけの問題ではないことを明らかにする。連載「フェイクニュースの研究」の第3回。

 フェイクニュースというと、ネットのイメージが強い。例えば総務省の特集ページ「ネットの時代におけるデマやフェイクニュース等の不確かな情報」では、「ネット上には、人を混乱させるためにわざと流されたデマ情報も。身近な医療・健康情報、うわさ話やゴシップネタなどにも、間違った情報があります!」と書かれている。

 これは間違っていない。ネットというのは誰もが自由に発信できる人類総メディア時代をもたらした。であれば当然、有益な情報が発信されることがあれば、誤った情報が発信されることもある。玉石混交の情報源であるので、情報の見極めは不可欠だ。

 しかし、「ネットによってフェイクニュースが生まれた」「SNSの情報だけ気を付けていればよい」と考えると、フェイクニュースの威力を誤って測ってしまうことにつながる。結論から先に述べると、フェイクニュースの拡散手段として最も多いのは、実は「家族・友人・知人との直接の会話」であることが、筆者らの研究から明らかになった。

 そもそもフェイクニュースというものは人間社会に普遍的なものである。それはデマや流言あるいは噂といったもので、人類はずっとこれらに振り回されてきたといってもよいだろう。フェイクニュースの起源を政治的なプロパガンダに求める場合は、紀元前のローマ帝国初代皇帝が政敵に勝つために虚偽情報を利用したことまで遡れるし、噂やデマに起源を求めれば、約10万年前の言語の起源にまで遡れる可能性がある

 さらにメディア史という観点から考察すると、ネット登場以前の書物や新聞がフェイクニュースと無関係ではなかったことも指摘されている。例えば、第二次世界大戦時や1923年の関東大震災時の報道において、あいまいな情報が少なくなかったのは周知のとおりだ。