でも、自然の素材を相手にする日本の料理では、作り方をそうやって数値化するのは複雑すぎて無理なんです。野菜にしても魚一切れにしてもいろいろな大きさがありますし、一元的な調理や味付けではどんな味になるのか推し量れないものがあります。

──料理の世界は「こうあるべき」とされることが多いですよね。下ごしらえが大切とか、汁物は出汁(だし)からとらなければならないとか。できるだけ手間ひまをかけるべきだという風潮があるようです。

土井 手間をかけることは、本当はおいしさとは関係ありません。でも、いつの頃からか、手間をかけることが大切だと言われるようになってしまったんですね。それに歯止めをかけたいという思いが、一汁一菜の提案につながっていきました。

 どうも最近は、プロの料理と家庭料理がごっちゃになっている印象があります。プロの料理と家庭料理は違うんです。プロの料理の目的は、お金をいただいてお客さんを満足させることです。一方、家庭料理は自分と家族の健康のためです。だから素朴で地味なものなんです。どちらが上ということはありません。むしろ家庭料理こそが純粋な料理であり、生きることそのものだと私は考えています。

普通の家庭料理のある暮らしが美しい

──けれども、最新著書の『一汁一菜でよいと至るまで』(新潮社)では、「味吉兆」での修行を終えてお父さんの料理学校に戻ったとき、最初は「何で私が家庭料理やねん」と思ったと書かれていますね。