ピンクの箱が大ウケ

 ビジネスの才能があったテッドはドーナツを定番の白い箱からピンクへと変えた。いまでこそドーナツにはピンクの箱が定番だが、たまたま、ピンクの方が安価だったから経費削減のためだった。ところが、これが逆に目立ち、事業は大成功。次々と店舗を増やしていく。

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 スタッフは家族から親族、そして同胞へ。内戦を経験し、死ぬ思いをした人々が藁をもつかむ思いで、次々とテッドを頼ってやってくる。テッドは旅費だけでなく、家や食料も与え、彼らを支援した。ドーナツ製造、店舗の経営、なんでも惜しみなく教え、彼らの独立を後押しする。挨拶と「指さして(ポイント・イット)」、そしてドーナツの名前ぐらいしか話せなくても開業できた。そうやって店を持った人たちから、月々の賃貸料を回収。勢力を拡大していった。

 皮肉なことに彼にドーナツ作りを教えた西海岸最大のドーナツ・チェーン、ウィンチェルは月に100店舗の勢いで増えていくカンボジア系ドーナツ店に取って代わられたのである。

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 大富豪になり、エレベーターやプールを備えた大邸宅を構えたテッド。毎月のようにパーティーを開き、妻のリクエストに応え、ドイツでベンツを注文し、カリフォルニアに送らせたこともある。それほど愛妻家だった。無一文から必死でやってこられたのも、身分違いの自分を信じてついてきてくれた、お嬢様育ちの妻の存在が大きかった。そして、ついにジョージ・H・W・ブッシュ大統領から、アメリカンドリームを実現した功績で賞を贈られるほどにのし上がった。