世界遺産にもなった富岡製糸場(写真:アフロ)

 世界で最初に産業革命を経験したのは、18世紀後半のイギリスでした。イングランド南西部のマンチェスターで、機械を用いた綿布生産量が大きく増加したことがその象徴でした。

 繊維産業は、食品や紙、木製品を製造する工業などとともに軽工業に分類されます。これらは、鉄鋼業、造船業、機械工業などの重工業に比べれば、投下する資本の額はそれほど多額である必要はありません。

 したがって産業革命が繊維産業から始まったのは自然なことだと考える方が多いようです。つまり、どの国の産業革命も、繊維産業からスタートするものだという考えです。しかし、それは必ずしも正しくはありません。

 経済学の通説では、遅れて産業革命を経験する国は、政府がリーダーシップを握って最新式の設備や技術を導入することで、先進国が経験してきた段階をスキップして、一気に先進国に追いつけると言われています。これは、ロシアからアメリカに移住したアレクサンダー・ガーシェンクロン(1904-1978)という経済学者が指摘したことです。彼によれば、最初からトップダウンによって最新式の機械を導入すれば、その国は一足飛びに先進国にキャッチアップすることができるのです。

 では、日本の産業革命はどうだったのでしょうか。

維新後の外貨獲得に貢献した生糸産業

 日本は明治時代に「殖産興業」の名の下に新たな産業が次々に興されました。銀行が誕生し、鉄道や電信が敷設され、政府主導で製鉄所や造船所、製糸工場などが設立されました。そうした中、まさに「産業革命」の中核産業となり、主要輸出品目として日本経済の屋台骨を支える存在となったのは「繊維産業」でした。

 産業革命とは機械化を伴うものですから、そこには多額の費用がかかります。特に製鉄や造船などの重工業では巨額になります。もちろん国内の需要を満たすためにも必要な産業ですから明治政府も製鉄所や造船所を設立しましたが、そこで生み出された製品が世界を席巻できるような量や価格になることは不可能でした。しかし投下資本が少なくて済む繊維産業では最先端の設備と技術を備えることは不可能ではありませんでした。ならばこの分野での産業発展を目指すほかありません。少なくとも、19世紀末から20世紀初頭の日本の状況はそういうものでした。